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ビジネスの色々なテーマを徒然なるままに考察し書き下ろしたエッセイです。
ステレオタイプなビジネスの見方を更新するべく、ビジネス論の範疇で能う限りリベラルな視点・切り口を導入しています。
ビジネスの、経営の、パルマコン=毒⇔薬として、思いがけない誤配を夢想した宛先不明の手紙として。
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消費のメカニクス 3.0
マーケティングにおいて大事なことは何か? 消費者の理解?新たな提供価値の構想?購買欲を刺激する仕掛け? 等など。 もちろんどれも大事。というより、それらを行うことがマーケティングですね。 なので、ここでの問いは、それらを行うにあたって、あるいはそれら以前に、大事なこと、です。 それは消費者理解・提供価値構想・購買欲刺激云々に通底する「構造」の認識、です。 もっと言うと、人の行動は構造に・あるいは構造的に規定されている、という認識を持つことが最重要です。 ひとは皆、一人ひとり個性が違い、個性に応じて主体的に意思決定している、と思っています。確かに、個人によって趣味嗜好には違いがあって、それによって意思決定は影響されています。しかし、その趣味嗜好の違い自体が、実はかなりの程度構造的に規定されているのだとしたら? ちなみに消費の構造的規定というと、一昔前(大昔ですが)に流行った議論、と思う方もいるかもしれません。まぁそうなのです。が、一周回ってデジタルの発展によって止揚した形で、その重要性が益々先鋭化してきた、という感じです。図式化して言えば、 「構造が大事」⇒「構造はダメ・個(別)性が大事」⇒「個(別)性だと思っていることの構造が大事」 みたいな。ちょっと単純化しすぎましたが、まぁイメージはそんな感じです。 どういうことか その1:人間=「ポピュレーション」。 人間の行動や欲求は、かなりの程度、デモグラフィックに代表される構造特性によって規定されています。構造特性(属性)には大別して、人口・疫学的属性、社会・文化的属性、経済的属性があります。性別・年齢帯・身長体重・既往症・遺伝子などが人口・疫学属性、家柄・家族構成・ジェンダー・地域・学校・世代・流行経験・幼少体験などが社会・文化属性、職業・役職・雇用形態・年収・世帯年収・資産などが経済属性、です。 その2:人間=人間という「生命種としてのアルゴリズム」。 以前のコラムで、生命=欲望、生命活動とは広義の欲望のFilled-Unfilledギャップを埋める活動≒エネルギー代謝の活動、という話をしました。そして、他の生物とは違い、人間の欲望は方向付けがない・尽きることがない・満たされきることがない、という話も。こんなにも沢山の商品があることがその査証でもあるのですが、それを裏返して言うと、どんな方向にであれFilled-Unfilledギャップを生成すればそれを埋める反応をする、ということです。ちなみに、人の欲望の殆どは人間だけが持つであろう自意識を経由し、その際に精神分析的な意味での他者の欲望の欲望に媒介されます。今どきの承認欲求もベタな例です。一方で人間は行動経済学や社会心理学が明らかにしている通りかなりシステマティックに判断や認知のエラーを起こします。それらの知見の多くが地域や人種によらずあてはまることは、人類種にほぼ共通の判断や認知アルゴリズムがあることを示唆しています。 さて、そんなマクロ属性や生命種特性なんかで現代の複雑な消費者や高度化した消費社会・商品経済を理解できるものか、と思う人は多いでしょう。私もそう思うというかそうであって欲しい。けれども、そうした思いとは裏腹に、現代のデータサイエンスや人間科学は、人の行動が統計的・生物学的・構造的に殆ど決まっている(あるいは決められ得る)ことを明らかにしてきています。もっと言えば、データサイエンスや人間科学の応用によって人の個性や理性は益々空っぽにされてしまった。されたというのは言い過ぎで、意図的にというより結果的にでしょう。いずれにせよ、人は立ち止まって考えるような面倒くさいことはしなくて済む代償として言わばポピュレーションとしての属性・人類という生物種に備わった特性に突き動かされるばかりの存在になってしまったということ。そして、世界の支配的プレーヤーは今や、このポピュレーション・人類という生物種のアルゴリズムや振る舞いの統計的傾向の操作によって莫大な利益を生み出しています。最も先鋭的にはGoogleやFacebookで、彼らのAIやアルゴリズムによって人は意のままに操作され得ます。彼らのAIはあなた以上にあなたをうまく操ることができるのです。 「人類という生命種のアルゴリズム」についてもっと深い議論をするには人間科学(の応用)最先端のコンバージェンスを理解する必要があり、ここではそのスペースも簡潔に語る力量もありませんが「ポピュレーション」のマーケティングについてはもう少しパラフレーズを続けましょう。 デモグラに代表される構造属性の重要性・決定性は、日本における昨今のクリエイティブや事業構想・創造ブームの中で過小評価されています。もっと言うと殆ど無視されています。 曰く、 「差別化」や「イノベーション」のために「提供価値の革新」によって「今までにない市場」を創造することが重要、そのためには漫然と「市場の平均」を見ていてはだめで極論すれば「特定の1人」が本当に「ハマる」体験やサービスを設計することがカギ、云々。 一見もっともだし、実際「構造属性」による決定性を前提した上でなら論旨は悪くない。しかしこれを言う人・実践する人の殆どは真逆に構造属性をむしろ「見ない」ための方法だとさえ思っています。 それがいかに的外れな考えかは、世の中にある商品の消費構造を詳しく分析すればすぐわかります。ある製品カテゴリーにおいて、誰がどのようなタイプの製品を選ぶかは、その製品カテゴリーに応じて複数の構造属性を説明変数にとれば、ほぼ説明されます。これは、製品開発段階でどこまで構造属性を想定したかに関係なく、です。逆に言えばだからこそ沢山のアンメットがあるのです。 構造属性に規定される消費のメカニクスは意思決定(ニーズ・ウオンツやら検討方法やら)から行動プロセス(AIDMAやらVISASやら)全体に及びます。 「マーケティングR&D(マーケティングにおけるR&D活動)」によって構造属性による消費メカニクスの理解・知見はどんどん深まり高精度になっていきます。 ちなみにそこまで深い理解でなくても、構造属性について簡単な解説とエクササイズを行ったあとに、商材は何でも良いのですが例えば、 ・「高齢者向けの掃除機を構想してみてください」 ・「世帯年収600万円程度で共働き、幼児のいるファミリー世帯向け掃除機を構想してみてください」 と問うてみると、マーケティングのプロでなくとも(むしろプロじゃないほうが)たちどころに様々な切り口・アイデアが出てきます。 この程度なら構造属性なんて大げさに考えなくても出来そうだと思うかもしれません。浅いレベルなら実際そうです。 しかし例えば、 「【20代独身で外資系に務める年収800万円の男性、賃貸のデザイナーズマンションに住み、仕事のあとには勉強会などにも参加するなど意識高い、シンプルでナチュラルだが品質の良い清潔感のある服が好み、趣味はアウトドアだが自炊男子でもあり彼女がいてちょくちょく家に遊びに来るのでインドアの楽しみかたも嗜んでいる・・】人向け掃除機を構想してみてください」 という問いを、構造属性のエクササイズを行う前にやるとアイデアが出てこなくなるし出てきても珍答・迷答のオンパレードになります。 で、構造属性のエクササイズを行って再びチャレンジすると、あら不思議、すらすらとアイデアが出はじめます。 ペルソナ設定して参与観察してエクスペリエンスマップやマインドマップを描いて、とか、やるのはよいのですが、やり方です。 「特定の1人」を「一人ひとりの個性」と解すると大きく見誤ります。「特定の1人」はある「構造的特性」によって規定される「市場クラスター」の「代表サンプル」という視点が決定的に重要です。 くどいですが、人の行動は人が自覚している以上に構造属性に規定されています。そして恐らくはデータサイエンスが逆説的に益々その反応傾向を強化しています。人間=ポピュレーションと人間=アルゴリズムのコンバージェンスが起こりつつあると言ってもよいでしょう。 (文責:金光 隆志)
欲望の探求⑤ -世界観アーキテクチャの中毒消費-
意味のイノベーション、人を動かす体験ストーリー、云々。 産業や生活がテクノロジーによって変革・更新されていき、テクノロジーこそが世界の問題を解決していくという物語・神話が全面化していく中で、大事なのは技術じゃない・問題解決じゃない、意味やストーリーこそ大事なのだという物語が語られる。 これを文系の最後の悪あがきと揶揄する向きもある。が、まあそうでもない。 実際、人が物語によって世界を意味づけし、それによって価値や行動や規範が規定されていることは、有史以来の人間社会成立(ホモ・サピエンスとしての)の条件なのだ。 現在は「テクノロジーが世界を変える・救う」という物語が支配的、というわけで残念ながら文系諸氏の悪あがきは見事に自らの言説に裏切られる、という憂き目を見るわけだが。 個々の商品において新しい意味やストーリーを考える(意味やストーリーから考える、も含む)ことは否定はしないが、それだけでは大して見返りはないだろう。特に、人を動かす「英雄譚」のストーリーモデル云々、とか、イノベーションやマーケティングのハウツー本で書かれているレベルのこと(ドラマティックな物語展開のパターンはこれ!みたいな)を考えても全くの無駄なのでやめておこう。日常・変化・困難・協力者(商品)・克服・成長・・とか、子供でも考えるような物語構造の一番単純な定石ではあるが、自分の消費を思い返せばいい。そんなもので心動かされて何かを買ったこと、あります?? まぁディスるだけじゃなく一応ちゃんと言っておくと、物語について商品やサービスへのマーケティング応用を考えたいのならば、筋の展開の構造のような「形態」「機能」や「シークエンス」よりも、人物や出来事の特性や気分・ある行動への動機・場の雰囲気・状況などを伝える「指標」や語りの「パースペクティブ」のことをしっかり考えてみたほうが示唆深い場合が圧倒的に多いだろう。 商品を使っているシーンやエクスペリエンスをプロット・表現し想起させる、云々というのも殆ど無駄。商品開発においてシーンやエクスペリエンスから発想することを否定しているのではない(大して肯定もしないが)。新規性の高い商品の使用説明としてちゃんと伝達することを否定しているのではない。そうではなく、ストーリーマーケティングやらコンテクストマーケティングやらと称して「エモい」エクスペリエンスストーリーを考えよう云々、がまぁ殆どの場合無駄だということ。マーケティングの段に至ってエモいエクスペリエンスを捻り出さなければいけない商品など、はなからエモい魅力はないと思った方がよい。 さて、アイロニーはこの辺にしておこう。やっぱり人々にとって意味のある生産的なことを言いたいですからね。ということで、意味のイノベーションや体験・ストーリーよりもはるかに強力なビジネスモデル原型を少しご紹介しておこう。 人をときめかせる、ワクワクさせる、これから(未知・未来)を期待させる、あこがれさせる等などの「世界観」をもとに、ビジネスアーキテクチャを形成・生成し、そのアーキテクチャをもとに、世界観のパーツや個々のストーリーとしての各種商品やサービスをマルチプラットフォーム・マルチビークルに次々と展開する。これである。 人々の欲望を駆動するのは、第一義的には、個々のストーリーではなく、「世界観」である。そして、「世界観」がベースにあると物語はいくらでもヴァリアントを生成可能なのだ。そして世界観アーキテクチャがハマれば必ず中毒消費に至る。 エンタテインメントの世界を想像すればわかりやすいだろう。ディズニーワールド、マーベルユニバース、ラノベジャンル、AKBフォーマット、K-POPフォーマット、ポケモン、直美・・。基盤となる世界観のもと様々な商品・ストーリーヴァリアントが展開されると同時に、それぞれのヴァリアントがさらに、派生商品/ヴァリアントを生成している。強引に単純化した例を示そう。「気品、美しさ、優しさ、行動力、勇敢、困難の克服、変身、魔法的力、愛の成就」といった特徴を備えるディズニープリンセス世界観。その世界観のもと、白雪姫、シンデレラ、アリエル、ベル、ジャスミン・・といった様々なストーリー/キャラクターヴァリアントが創られる。そして各ヴァリアントからはアニメ、実写、キャラ商品、テーマソング、テーマパークアトラクション・・といった派生商品/ヴァリアントが生まれる。これらの生成を支えるアーキテクチャは、映像から商品やパークまでの連鎖したコンテンツビークル・プラットフォーム(ディズニーエコシステムと呼ばれる)はもとより、社会が求める女性像のR&D(キャラクターの性質は時代とともに少しづつ変容させている)、世界中の文化や物語IPのリサーチ、ニューロサイエンスに基づくシーンと情動のパターンDB、最先端のCG・VFXテクノロジープラットフォーム、新たな体験を生む五感を中心とした先端テクノロジー・サイエンスのリサーチネットワーク、ハリウッド内はもとよりグローバルに広がる映像制作ネットワーク・・といったSECT(Science Technology Culture Edit/Produce)インフラストラクチャから構成される・・云々。 ところで「世界観」消費のミソは、世界観そのものを直接消費することは出来ない、ということだ。世界観を楽しむ・熱狂する・共感する・同化する・納得する・感受するには、世界観のパーツ・化身・シミュレーションたる個々の商品・キャラクター・物語を消費するしかない。だが、それは決して世界観そのものではない。だから、世界観と同化するには、次々に出てくる商品やストーリーを世界観の一部・影・鏡像・シミュレーションとして次々に消費するしかないのだ。かくして「世界観」に快情動を感じた人は、反復を求めてずっとその世界観の化身・仮身を追い求めることとなる。 そして、世界観に惹きつけられた消費者自らを、個々の商品や物語生成に巻き込む、創作に参加させることで、世界観アーキテクチャのモデルは一つの完成形に至るだろう。世界観に同化したいというナルシスの欲望が擬似的に満たされる状態。完全に同化できてしまってはいけない、ときには「本物」の豪速球で突き放さなければいけない、のだがまぁその話は置いておこう。ともかく。ここまでくれば完全にハマった状態である。実際に創作に参加させるにせよ参加した気にさせるにせよ、そこに莫大なマネタイズの機会が発生するだろう。エンタメで言えば、二次創作の隆盛で一次創作の消費を拡大するのか二次創作自体から収益を得るか、みたいな話ではある。それだけじゃない、それだけだと浅いが、まぁこれも置いておこう。 さて、エンタテインメントの喩えはわかるが、他の実用商品でも同じことが言えるのか? もちろんYes。ジョブズが率いたころのAppleに陶酔しCreativeを信奉した人々、GoogleのMoon shotに憧れ・共感しハッカソンなどに参加する人々、IKEAのLOHAS的・北欧的感性へのDIY的商品体験による同化、昨今の中国D2Cユニコーンにおけるコアファンの熱狂的参加、米国DNVBにおける理念や世界観への共感、等など。すべて「世界観」による欲望の駆動と、欲望を個々の消費やコミュニケーションで解消するための「アーキテクチャ」がある。アーキテクチャの全体が世界観の表現でもあり、個々の商品やコミュニケーションが物語のヴァリアントとして世界観を部分表象し、世界観への憧れ・興奮・共感・同化・・を部分的に昇華・消化させる。 世界観は人々を瞬間的・無意識的・情動的に惹きつける。だが世界観自体「これが世界観です」というふうには目に見えない、言語化しようにもいわく言い難い。だから強力なのだ。では世界観やアーキテクチャはどうやって作ればいいか。簡単に補助線を付しておこう。 欲望の原理的理解、現代のマクロな世相や言説の背後にある集団的欲望や不安及びその源泉の理解、個人や集団の欲望を駆動する世界観の原型となる各種文化の様式・パターンやそこで作用するコードのカタログ・現代の脱聖化した各種消費文化の背後にある歴史的系譜の考察、世界観構築・表現や個別商品・物語生成に援用可能な技術プラットフォーム・サイエンスの考察、コアファン生成のコミュニケーションモデル設計、メディア・ビークルプラットフォームミックス設計、これらを統合するSECT連携/スタジオ型ビジネスモデル、である。世界観を代理表象するための物語素・神話素や指標に相当する要素・パーツをデータベース化しアーキテクチャに仕込んだり、それら要素の最適組み合わせをイメージ生成・テクスト生成するデータサイエンスやニューロサイエンステクノロジーを折り込むことが出来れば更に強力な世界観アーキテクチャ型ビジネスモデルを創ることができるだろう。 世界観アーキテクチャの消費は目新しいものでは無い。にもかかわらず、エンタテインメント業界の先端を除けば殆どの人はそれをビジネスモデルとして了解していない。文系の悪あがきの可能性の中心はここにこそあるのだが、エンタテインメント業界以外のビジネス現場がいかに人間や文化を原理的本質的に理解することを怠っているかの査証、とまで言うと言い過ぎだろうか。ところで実は世界観アーキテクチャの中毒消費はデジタルと相性がよい。デジタル化が全面化し、With/After covid-19の生活様式がいよいよ不可逆となっていく気配の中、世界観アーキテクチャの勝者は世界の勝者となっていくだろう。 (文責:金光 隆志)
ヒットのメカニズムと指数関数的成長
現象レベルではヒットのメカニズムは2つのパターンに集約される。個々人の独立的・主体的選択において、多くの人を誘惑誘引するパターンが一つ。もう一つは相関的・社会的選択によって模倣が模倣を呼ぶネットワーク効果である。厳密にはもう一つ、ネットワーク外部性の論理があるのだが、話が紛らわしくなるので、でここでは割愛する。 さて、指数関数的成長であるが。これは独立的・主体的選択パターンから生まれることはあり得ないことに刮目すべきである。見かけ上指数関数的になることは多い。だが、本質的に需要が指数関数的に爆発しているのではないのだ。簡単なこと。もし独立的・主体的選択ならば、その商品を選好する人の上限はハナからほぼ決まっているからである。その浸透上限に向かって浸透していくのだ。ロジスティック曲線等指数関数で表現できる。だが、指数的需要成長ではない。単に浸透が指数関数的なだけである。 相関的・社会的選択のネットワーク効果はまるで違うメカニズムだ。独立的・主体的選択では選ばなかったであろう人が次々に需要者になっていく。もちろん無限の成長などありえないわけで、人口的上限はある。だが浸透上限は事前に決まっているわけではない。浸透上限を探ろうとする人が見ればそれがどんどん時間と共に更新されていくイメージだ。厳密にはランダム型とスケールフリー型で効果は異なるが、いずれにしても間接コミュニケーション(簡単に言えば噂の類)の効果が指数的需要成長の程度を大きく左右する。そして現代では間接コミュニケーションが加速している。このメカニズムが駆動を始めると瞬く間に需要が拡大する。 大ヒットにはほぼ例外なくこのネットワークメカニズムが駆動しているだろう。大ヒットを狙うマーケティングの核は明らかである。模倣、そして模倣が模倣を生む、心理的・社会的メカニズムを創出すること。初期フェーズのユーザーがどう動いてくれるかが第一のカギであり、次に局所的で直接的な周囲集積状況が生まれることが第二のカギであり、そこから大域的で重層的な周囲状況へと発展することが第三のカギである。狙ったマーケティングを行っても常に上手くいくとは限らない。結果は多分に偶然・状況に左右される。だが模倣が模倣を生むメカニズムが駆動しているか否かは、現代においては慎重な定量・定性検証で、かなり早期の段階から検証・追跡可能だ。つまり、後戻り、軌道修正、諦めて次にいく、等の判断を早期に行うことが出来る。シナリオプランニングや長期戦略とも接続可能になる。 新時代のマーケティングのカギがここにある。 (文責:金光隆志)
異質ソリューションの威力
ヒット商品やサービスにはどんな特徴・パターンがあるのか。誰しも興味があるだろう。ヒットするかどうかには、ネットワーク作用に係わる偶然性の影響が大きい。だがヒットした結果の商品・サービスを分析すると、そこには興味深い特徴・パターンが認められる。 提供価値における独自性や差別性がヒットの要件のように語られることが多い。 だがヒットの実際を、後付けの説明ではなく発生論的に見てみると、提供価値サイドにおける“あっと驚く”新機軸を考えることから生まれたヒット商品・サービスというのは殆ど存在しない。 実際には、提供価値サイドで見ると、昔から懸案だった大きなアンメットニーズや無意識に強いている妥協、あるいは“こんなことが出来たらいいのに”と誰しもが思っていたもの・思うであろうもの、である場合が圧倒的に多い。例外はエンタテインメントにおける偶発的流行かポストイットのような全くの偶然の効用発見かである。 要は提供価値においては、奇をてらった意外なイノベーションなどのヒット例は殆ど無く“王道の大きな課題解決”がヒット商品・サービスにおける共通要因と言ってよい。なお、余談だが、ここで意図する王道の課題とは消費者にとっての王道の課題のことだが、資源が不足するサプライヤーが自らの課題に対し苦肉の策で編み出した解決策が思いがけない効果を生んで大ヒット、という例も結構あることは付言しておこう。 さて、では“王道の大きな課題解決“がどのようになされているか。実はヒットにおいてはこの課題解決策が、業界における従来の延長線にない、業界内の既存の様式や発想から逸脱した・異質な技術やソリューションによる場合が非常に多いのだ。しかも異質導入の結果、商品やサービス形態においても革新が起こり、「新しい形」でワクワクさせるものに仕上がっていることが多い。異質ソリューションのサイドエフェクトは他にも色々あるがここでは割愛する。 課題解決型ではないケース(エンタテインメント等)のヒットでも、価値サイドをいじくりまわして何か生まれたというのではなく、異質な技術や手段を導入した結果、意外な新たな価値や形が生まれて話題となってヒットとなった商品が多い。 要は、ヒット商品・サービスにおいては、提供価値よりも技術やソリューションにおいて業界の常識を逸脱しているケースが圧倒的に多いのだ。その結果として大きな提供価値や新たな提供価値に繋がっている。先進技術・ソリューションではない。その業界では今までになかった異質な技術・ソリューションである。 一番上等なのは、無意識の大きな妥協を異質ソリューションで解決することだ。さすがにそれは簡単ではないにせよ、せめて、当て所もなく革命的な価値を探すことに労力を費やすくらいなら、王道の大きな課題に狙いを定めよう。そこには無謀さがあってもいい。そして、その解決には従来の業界常識を外れた手段にまで発想が及ぶべく準備をしよう。セレンディピティの源泉は、解決したいという強烈な問題意識と限界への挑戦である。 (文責:金光隆志)
需要浸透の構造・パターン
商品の特徴をターゲット需要者に対して効率的・効果的に伝達・訴求する。そのアレンジメントとして何らかの話題性を付加したり消費ストーリーを付加したり、といったことがマーケティングの基本パターンである。 では、そのようにマーケティングを組んだとして、商品はどのように市場に浸透していくのだろうか。もっと言えば、どんな浸透パターンを狙うのか。 この問いに答えられないで組まれたマーケティングはひいき目に言って片手落ち、もっと言えば結果は市場という神のみぞ知る、ということになる。既存商品リニューアル等でいつも通りのパターンを踏襲すればある程度結果は予測できるという場合ならそれでも良い。 だが、新規性の高い商品、新事業においてはどうか。 需要の市場浸透は、仔細には様々あれども、構造的に見れば、凡そ3つのパターンに集約される。そのことに自覚的になれば、マーケティングに新たな次元を導入することが可能になる。3つのパターンとは簡単に言えば、①個人の主体的選択の集積、②スケールフリーネットワーク効果の駆動、③ランダムネットワーク・その結果として自己組織化臨界形成、である。市場浸透構造という視点を持つと、結果論だが例えば、同じヒット映画と言っても「シンゴジラ」は①、「カメラを止めるな!」は②、「アナ雪」は③のパターンが主導的であっただろう云々と推測ができるであろう。 ネットワーク効果、というと、「インフルエンサーマーケティングとかその類か」と考える向きもあろう。確かにインフルエンサーマーケティングはスケールフリーネットワーク効果の駆動と親和性が高い。だが、インフルエンサーマーケティングに限らずどんなマーケティング手段であっても、どの市場浸透パターンも発生し得る。言い換えれば、浸透パターンの狙いの定めがないマーケティングからは、偶然の結果しか生まれようがない。 例えばユーチューバーを使ったマーケティング企画があがったとしよう。これはそもそも根本的に外している可能性さえ高い。ユーチューバーなんて中高生しか見ていない。そこは目をつぶるとしてもどんな浸透効果を期待しているかに自覚的だろうか。従来マスメディアにおける認知獲得の代替・補完、程度のことしか考えられていないなら考え直した方がよいだろう。 浸透構造・パターンに自覚的に狙いを定めても結果を完全に支配・コントロールすることは出来ない。だがマネジメントは可能になる。新規性の高い商品・事業であればあるほどこの差は大きいであろう。 (文責:金光隆志)