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Column
ー コラム

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ビジネスの色々なテーマを徒然なるままに考察し書き下ろしたエッセイです。
ステレオタイプなビジネスの見方を更新するべく、ビジネス論の範疇で能う限りリベラルな視点・切り口を導入しています。
ビジネスの、経営の、パルマコン=毒⇔薬として、思いがけない誤配を夢想した宛先不明の手紙として。

h.メカニズム
ALL
a.戦略
b.イノベーション
e.マネジメント
d.マーケティング
c.ビジネスモデル
f.価値
g.欲望
h.メカニズム
i.ヒットサイエンス
l.発想のアート
j.テクノロジー
k.社会課題

16-20 件 / 20 件中 

2019-02-28

欲望の探求

あなたが何を欲するか。脳科学やビッグデータによって丸裸にされる日が来る? あなた自身よりもテクノロジーの方が遥かに正確に言い当てる、そんな現実/近未来が語られる。けれども、ことはそう簡単ではない。 欲望は何によって決まるのか。とても複雑だけどあえて少しパターン了解を試みよう。 その①生体的特性。例えば何故甘いものが好きか。甘味が脳内麻薬物質のβエンドルフィン産生を活性化させるからです。その中毒性たるやコカインなど麻薬の比ではないらしい。 その②学習的特性。例えば何故苦いものが好きになるのか。実はよく解っていない。生理的、社会的、状況的学習が絡み合い複雑なメカニズム。 しかし繰り返し経験する中で好きになったりやみつき(中毒)になったりすることは確か。 その③心理負荷軽減特性。例えばなぜ「おススメ」に従ってしまうのか。もちろんビッグデータやAIで、あなたが好みそうなものを提示されているというのはある。だが複雑・曖昧な状況はストレスホルモンを分泌させ、単純化はそれをリリースするというそれこそ単純なメカニズムも働いている。色々試着させられたらついどれか買ってしまう、等の背後にも働いているメカニズム。 その④社会コード。例えば何故LVのバッグが欲しいのか。乱暴に言えばLV持てば優越感を感じられるから。優越感はドーパミン等脳内麻薬物質放出のトリガーになります。ではなぜLV持つと優越感に浸れるか。そのように文化・社会によってコード化されているから。 その⑤模倣的特性。例えば何故ハロウィン仮装はかくも一般的になったか。私は2010年頃から仮装イベントに参戦しているが当時街中では変人を見る目で見られたものだ。ところが年々数が増え、いまや東京ならそこらじゅうどこでもみんな仮装している。もちろん仮装には④の裏返しとして日常性(コード)侵犯という欲望を駆動するメカニズムはあるのだが、この流行自体に必然性はない。多くの流行現象にはメカニズムはあるが必然性は無い。模倣が模倣がよんでネットワーク効果が働いた結果だろう。 その⑥作業的必要性。紙を切るのにハサミが欲しい、とかその手の話 などなど。まぁ人の欲望を丸裸にするなんてのは、とてつもなく大変なことだろうと思う。脳科学やデジタル、ビッグデータ云々だけでは無理。社会の学との相互通貫も求められる。とてつもない難事だ。 だけれども、断片的にでもこれらの知見を貯め続けると。事業創造も商品開発もマーケティングも、随分と面白くなってくるのじゃないだろうか。 そのような取り組みを仕組み化するのがクロスパートが開発し提唱しているSECT連携体制である。自分達で言うのもなんだが、これはスゴイです。3年も続ければ他の企業とは次元の違うイノベーション基盤と体質を手に入れていることでしょう。 (文責:金光隆志)

2018-12-14

オルタナティブ未来構想

ここ1,2年、未来構想について見聞きすることが増えてきた。 個人的には6,7年前ごろからこの種のテーマで検討依頼を受けることが増えていたが、当時は、10年・20年先を議論する日本企業は稀な存在だった。 今や、未来を創造する、世界を変えるといった議論はごく普通にみる風景となった。未来を構想する企業が日本に増えることは喜ばしいことだ。 ところで、最近の未来構想に関する論調で気になることがある。未来構想においては主観こそが大事・重要という議論である。 「起こるであろう未来ではなく、起こし得る未来を構想せよ」「確定した未来などない、人間の意思・目的意識が世界を形成していく、未来は創られていくものだ」云々。 人間中心主義(というのも大げさだと思うが)、バックキャスティング、想定外未来、フューチャーセッション・・・などがこの手の議論の方法論的ヴァリアントだ。 論旨に異存はない。未来「構想」というからには、人が構想するのは当然である。 だが、「現状制約は一旦脇に置いて、ありたい未来・創りたい未来を議論し考えましょう」といった、未来構想ならぬ未来妄想。「自分主語で共感的な物語を紡ごう」「その物語を共感を通じて皆に広げていこう」といった共同主観的ナラティブなんとか。云々。こうなると最悪である。 断言しておこう。無駄骨である。 頭の体操的・発想法的研修ならいざ知らず、実践においてこんな議論から、覚悟ある未来への行動が生まれることはない。 なぜか。 現実のラディカルな理解なしに、クリティカルな問題意識は生まれない。 クリティカルな問題意識無しに、未来への覚悟・投機/投企は生まれない。 覚悟・投機/投企無しに、構想したナイーブな未来が実現することはない. ではどうするか。 本稿で詳述は出来ないが一つの方法は、現実をキュビズムのような手つきで解することだ。 現実の中にある、様々な兆候。微かな変調。異常の痕跡。それらをエクストリームに未来に向かって拡大・延長・展開してみること。するとどんな未来像が立ち現れるか。極端で非現実的なSF未来が浮かびあがるだろう。それでよい。その未来像から再び現在を振り返ったとき、クリティカルな問題意識が刺激されオルタナティブへの思考が発動する。 少しテクニカルな話をすると、エクストリームに拡大・延長・展開するとき、剥き出しの人間の欲望・社会の欲望を補助線にするとよい。そうして描かれた未来像は、非現実的であっても妙に生々しくリアリティがあるはずだ。 そして考える。 もし未来がこうなるのだとしたら、我々はどうなるのだろうか。 この未来において、我々にはどんな可能性が開かれるだろうか。 逆に、未来がこうならないためには、何が必要だろうか。 我々はどんなオルタナティブ未来を望むか。・・ この作業を繰り返してみる。繰り返した数だけオルタナティブ未来が浮かび上がる。 こうして考えたことがそのまま未来構想になるわけではない。 だが、そこから考えを地におろして、再び現実の諸条件、人々の欲望、自分達の欲望と照らして、オルタナティブ未来をよりリアルにイメージ出来るものへと慎重に画像修正する。 退屈な現状の延長でも、空疎なアイデアでもない、リアルでクールな未来構想へと近づいていることだろう。 未来構想が主観か客観かはどうでもいい。どっちでもいい。 大事なのはリアルのラディカルな理解からクリティカルな問題意識を駆動すること。 大袈裟に言えば、現実とは存在論的にも精神分析的にも、汲み尽くすことのできない生成可能性の潜在だ。 量子力学的な比喩も援用してパラグラフを続けよう。すべての未来がいまここにある。それらは確率論的に潜在している。次の瞬間確率1である状態へとあらゆる可能性の未来が集約される。と同時に再び可能性の潜在体として現前する。この現実≒確率論的未来潜在体に対して慣性の力は強力だが、その慣性に一瞬抗い僅かな変異をもたらす程度のエネルギーなら都合はつく。但し慣性圏を抜け出すには変異エネルギーを継続して供給しないといけない。その原理・原動力は欲望ポテンシャルである。 リアルこそ、優れてスリリングなSF小説ネタの宝庫であることを付言しておこう。 (文責:金光隆志)

2018-10-15

ヒットのメカニズムと指数関数的成長

現象レベルではヒットのメカニズムは2つのパターンに集約される。個々人の独立的・主体的選択において、多くの人を誘惑誘引するパターンが一つ。もう一つは相関的・社会的選択によって模倣が模倣を呼ぶネットワーク効果である。厳密にはもう一つ、ネットワーク外部性の論理があるのだが、話が紛らわしくなるので、でここでは割愛する。 さて、指数関数的成長であるが。これは独立的・主体的選択パターンから生まれることはあり得ないことに刮目すべきである。見かけ上指数関数的になることは多い。だが、本質的に需要が指数関数的に爆発しているのではないのだ。簡単なこと。もし独立的・主体的選択ならば、その商品を選好する人の上限はハナからほぼ決まっているからである。その浸透上限に向かって浸透していくのだ。ロジスティック曲線等指数関数で表現できる。だが、指数的需要成長ではない。単に浸透が指数関数的なだけである。 相関的・社会的選択のネットワーク効果はまるで違うメカニズムだ。独立的・主体的選択では選ばなかったであろう人が次々に需要者になっていく。もちろん無限の成長などありえないわけで、人口的上限はある。だが浸透上限は事前に決まっているわけではない。浸透上限を探ろうとする人が見ればそれがどんどん時間と共に更新されていくイメージだ。厳密にはランダム型とスケールフリー型で効果は異なるが、いずれにしても間接コミュニケーション(簡単に言えば噂の類)の効果が指数的需要成長の程度を大きく左右する。そして現代では間接コミュニケーションが加速している。このメカニズムが駆動を始めると瞬く間に需要が拡大する。 大ヒットにはほぼ例外なくこのネットワークメカニズムが駆動しているだろう。大ヒットを狙うマーケティングの核は明らかである。模倣、そして模倣が模倣を生む、心理的・社会的メカニズムを創出すること。初期フェーズのユーザーがどう動いてくれるかが第一のカギであり、次に局所的で直接的な周囲集積状況が生まれることが第二のカギであり、そこから大域的で重層的な周囲状況へと発展することが第三のカギである。狙ったマーケティングを行っても常に上手くいくとは限らない。結果は多分に偶然・状況に左右される。だが模倣が模倣を生むメカニズムが駆動しているか否かは、現代においては慎重な定量・定性検証で、かなり早期の段階から検証・追跡可能だ。つまり、後戻り、軌道修正、諦めて次にいく、等の判断を早期に行うことが出来る。シナリオプランニングや長期戦略とも接続可能になる。 新時代のマーケティングのカギがここにある。 (文責:金光隆志)

2018-10-12

組織の未来

事業や環境が複雑になるにつれて組織も複雑になる。これはよく言われるし実際にそうだろう。一般論として複雑な組織は効率が悪くマネージメントし難い。そこから、肥大化・複雑化した組織を再びシンプルにしよう・すべきだといった主張に繋がっていく。 だが、逆の論理にも刮目すべきである。組織が複雑になれば事業も複雑化する。「組織」をネットワークに、「複雑」を多様・発達に読み替えて見ればわかる。組織のネットワークが多様化・発達すると事業も多様化・発達していく。ここに組織の未来・可能性がある。 組織の境界や指揮系統をリジッドにすれば効率は上がる。拡大再生産に向いた組織構造だ。だが新しいものは生まれない。一方でネットワーク型組織については、組織の形としては「未来予想」的に語られはするが、そのインプリケーションや実際の可能性は突き詰められていない。発展途上だ。 例えばデジタル技術を駆使して「アイデアの流れ」による「知恵の創造」とネットワークの関係が実証的に研究されている。非常に乱暴に纏めると、適度な複雑さ(ネットワーク)を持った集団の方が知恵が発展する・良い知恵が広がる確率が高い。より細かくは、スケールフリー型ネットワークの方がランダム型より繋がりが多様になり、全体パフォーマンスが上がり易い。だが繋がり過ぎるとエコーチェンバー効果が大きくなって、孤立よりはマシとは言え、良いアイデアが広がる前に普通以下のアイデアがブーム的に広がってしまう可能性が高まる。 アイデアの流れは人の模倣行動特性によってちょっとした接触からでも生まれる。私たちは自分が思っている以上に全然理性的ではないようだ。だが理性的ではない行動によって孤立した個人よりかしこい集団になり得るというのは皮肉ではあるが面白い。 ネットワーク組織の研究では、アイデアの流れに加えて、社会圧力を上手く駆動させるソーシャルインセンティブによって個人の行動変化が劇的に促進される、という研究も示唆深い。個人への報酬よりも、その個人に働きかけるよう集団にインセンテイブを与えた方が個人の行動変化に2~8倍の効果が認められている。企業のインセンティブ設計にも大きな一石を投じる研究結果である。 社会心理学や社会物理学が明らかにしつつある、情報や行動に対する集団の影響やそのメカニズムに関する新たな知見は、組織のハード・ソフト設計に根本的な変革を迫る。根本的すぎて、変革に歩を進められない企業が大半だろう。だが例えば、Googleの組織や人事設計にはこれらの知見や考え方が反映されており、日々組織パフォーマンス向上に関する独自の研究も続けている、としたら?実際に彼らは「良いアイデアの流れ」も「ソーシャルインセンティブ」も組織にビルトインされている。 ここのところ日本企業は優秀な人財を採ることには重点を置いて躍起になっているが組織設計・運営についてはかなり無頓着になってきている印象だ。世界ではデジタルの進化とともに組織・組織論も進化していることを忘れてはいけない。デジタル進化が飛躍的なら組織進化も飛躍的だと心得よう。組織にもイノベーションが起こっている。 (文責:金光隆志)

2018-10-10

競争の論理⇔価値の論理

小さくてもいいから競合の誰もいないオンリーワン市場を創れ・狙え。 否定するつもりはないけれど、人を惑わす随分と無責任な言い方だ。 これを真に受けて、市場性が殆ど無いモノを出してしまったり、愚にもつかないオンリーワンなものをだしてしまったり。あるいはオンリーワンが思いつかず身動きとれなくなってしまったり。 基本的な論理を押さえておこう。商品とは相対的価値体系である。価値体系に組み込まれない商品など存在しない。そして価値体系とは競合関係である。つまり商品として市場に投入された時点で競合関係に組み込まれるのだ。 価値とは差異である。即ち競合とは差異である。量的差異(価格、性能)質的差異(デザイン、材質等)、色々な差異のベクトルがあるが、差異のポテンシャルが大きいほど個性が際立つ。競合があっての個性であることを忘れてはならない。商品経済の基本中の基本だ。 商品なりサービスなりを出す際には必ず競合を想定しなければならない。例え発想の段階で競合を想定しなかったとしてもだ。その想定は、潜在的であってもユーザーにとっての実際的競合=価値体系でなければならない。あなたが勝手に価値体系を作ってそれを認知させる、という高等テクニックもあり得るが、先ずはユーザーに沿って想像すべきだ。言うまでもなく競合は同種商品や同一カテゴリーとは限らない。 そして問う。十分な差異ポテンシャルがあるか。その差異ポテンシャルはダイナミックに持続可能か。どのようにして持続出来るか。 ダイナミックな持続可能性とは進化を織り込むこと。競合は進化する。自分も進化する。価値体系全体も進化する。持続可能性とはそのゲームの論理の詰将棋である。 ナイーブに巷の事業創造論だのデザイン思考だのに飛びついて見失ってはいけない。 商品経済は徹底してマテリアルな価値体系であり競争関係である。 (文責:金光隆志)