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Column
ー コラム

16-19 件 / 19 件中 

ビジネスの色々なテーマを徒然なるままに考察し書き下ろしたエッセイです。
ステレオタイプなビジネスの見方を更新するべく、ビジネス論の範疇で能う限りリベラルな視点・切り口を導入しています。
ビジネスの、経営の、パルマコン=毒⇔薬として、思いがけない誤配を夢想した宛先不明の手紙として。

g.欲望
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a.戦略
b.イノベーション
e.マネジメント
d.マーケティング
c.ビジネスモデル
f.価値
g.欲望
h.メカニズム
i.ヒットサイエンス
l.発想のアート
j.テクノロジー
k.社会課題

16-19 件 / 19 件中 

2019-02-28

欲望の探求

あなたが何を欲するか。脳科学やビッグデータによって丸裸にされる日が来る? あなた自身よりもテクノロジーの方が遥かに正確に言い当てる、そんな現実/近未来が語られる。けれども、ことはそう簡単ではない。 欲望は何によって決まるのか。とても複雑だけどあえて少しパターン了解を試みよう。 その①生体的特性。例えば何故甘いものが好きか。甘味が脳内麻薬物質のβエンドルフィン産生を活性化させるからです。その中毒性たるやコカインなど麻薬の比ではないらしい。 その②学習的特性。例えば何故苦いものが好きになるのか。実はよく解っていない。生理的、社会的、状況的学習が絡み合い複雑なメカニズム。 しかし繰り返し経験する中で好きになったりやみつき(中毒)になったりすることは確か。 その③心理負荷軽減特性。例えばなぜ「おススメ」に従ってしまうのか。もちろんビッグデータやAIで、あなたが好みそうなものを提示されているというのはある。だが複雑・曖昧な状況はストレスホルモンを分泌させ、単純化はそれをリリースするというそれこそ単純なメカニズムも働いている。色々試着させられたらついどれか買ってしまう、等の背後にも働いているメカニズム。 その④社会コード。例えば何故LVのバッグが欲しいのか。乱暴に言えばLV持てば優越感を感じられるから。優越感はドーパミン等脳内麻薬物質放出のトリガーになります。ではなぜLV持つと優越感に浸れるか。そのように文化・社会によってコード化されているから。 その⑤模倣的特性。例えば何故ハロウィン仮装はかくも一般的になったか。私は2010年頃から仮装イベントに参戦しているが当時街中では変人を見る目で見られたものだ。ところが年々数が増え、いまや東京ならそこらじゅうどこでもみんな仮装している。もちろん仮装には④の裏返しとして日常性(コード)侵犯という欲望を駆動するメカニズムはあるのだが、この流行自体に必然性はない。多くの流行現象にはメカニズムはあるが必然性は無い。模倣が模倣がよんでネットワーク効果が働いた結果だろう。 その⑥作業的必要性。紙を切るのにハサミが欲しい、とかその手の話 などなど。まぁ人の欲望を丸裸にするなんてのは、とてつもなく大変なことだろうと思う。脳科学やデジタル、ビッグデータ云々だけでは無理。社会の学との相互通貫も求められる。とてつもない難事だ。 だけれども、断片的にでもこれらの知見を貯め続けると。事業創造も商品開発もマーケティングも、随分と面白くなってくるのじゃないだろうか。 そのような取り組みを仕組み化するのがクロスパートが開発し提唱しているSECT連携体制である。自分達で言うのもなんだが、これはスゴイです。3年も続ければ他の企業とは次元の違うイノベーション基盤と体質を手に入れていることでしょう。 (文責:金光隆志)

2018-10-18

イノベーションとアート

イノベーションとアートは近親関係にある。 巷では、合理や論理では出てこない解、直観的・感性的な解を求めてアート的アプローチ、云々と言われているようだが、恐らく言っている当人が何のことだかわからず言っている。 消費について、論理ではなく快楽論者である私は、感性の判断を信じるものではあるが、この手の「アート」と「サイエンス」を対立に置いて論じる議論には与しない。 さておき、アートは悉くイノベーションである。 この点を了解するために、アートとは何かを簡単に考察しておこう。 乱暴に言って、アートとは、「日常」「普通」「常識」へのチャレンジ・超克作業である。 例えば。 日常何気なく見過ごしているモノや風景を「異化」「現前化」して新たな意味や今まで感じてこなかった感覚を呼び覚ます。マルセル・デュシャンの「toilet」、Chim↑Pomの渋谷の大ネズミで作ったピカチュウ、谷川俊太郎のいるかの詩、云々。ファインアートにおける「異化」ではシリアスなメッセージ性を持ったものが多いが、それが脱聖化されてポップになると、奇譚倶楽部の「コップのフチ子」「定礎」のような商品、あるいはピコ太郎の「パイナポーアポーペン」になる。 例えば、 作者や作品の唯一性、アウラ、それらを制度的に保証する評論、文壇、美術館といったものの虚構性を暴き出すアプロプリエーションやシユミレーショニズム。これらは言わば非日常や特別ということを「異化」しつつ、逆説的に現代の日常を「現前化」している。ある種の広告表現やハウスミュージックなど、サンプリングやリミックス手法を駆使して作られた作品の、全く空疎だが無意識のうちにハマるドラッグ性を思い起こせばよい。 例えば。 規範や常識・良識と言われているものを「侵犯」「逸脱」し、抑圧されたエロス・タナトスの欲望を垣間見せる作品。マルキド・サド、クロソウスキー、XX等々。それが脱聖化されポップになれば、アヴァンギャルドなアンダーグラウンドカルチャーになる。言うまでもなく消費シーンに現れるアヴァンギャルドは訓化されたアヴァンギャルドだ。 例えば。 「日常」や「普通」を端的に超克した美・快。イデアや神の領域を目指すもの。この系統は制度化・時代の制約を免れがたくはあるが、王立アカデミー系の芸術群、政治性を排して端的に色彩や形態の美を追求したアメリカ版モダニズム、パスティーシュを駆使したトランスアバンギャルド等々。私たちの審美的感覚はこれらのコードを介して内面化されているからして、美意識に訴える商品デザインはこれらのパスティーシュ、パスティーシュの連鎖として現れる。 さて。これらは悉く、「日常」「普通」を打ち破るもの。すなわちイノベーションである。 アートをイノベーションに応用するとすれば、このパースペクティブにおいてであろう。 そしてこれは、半ば方法論化が可能、つまり強力なイノベーション手法になり得るのだ。 方法論化されたアートなどアートたり得ない?そりゃそうです。ビジネスの話なので。 (文責:金光隆志)

2018-10-17

マーケティングの今と昔

どんな商品にも固有の特徴がある。その固有の特徴を求める人がいる。その人に焦点を定めて効率的・効果的にその商品の特徴を伝えて購買欲を喚起する。これが今も昔も変わらないマーケティングの考え方の基本パラダイムだ。 固有の特徴を差別化と呼んだりユニークセールスポイントと呼んだり、あるいは需要サイドでニーズやアンメットニーズと呼んだりJobと呼んだり提供価値と呼んだり。手を変え品を変え新しいマーケティングの理論や方法論が現れるが、パラダイムは同じである。 あるいは、近年で言えば、市場の不確実性を背景に、予測的・決定論的戦略やマーケティングは最早不可能である、という認識に立ち、如何に需要を創造するか、既存の市場前提を破壊するか、そのクリエイティビティやインサイトこそ重要だということで、今までの発想では通用しない・イノベーション発想が必要だといった言もなされる。だが、如何に従来と違うものを創ろうが、需要は創造するのもだと言おうが、これからはストーリー消費だ何だと言おうが、マーケティングの考え方の基本パラダイムは何ら変わっていない。 それらは新しくも古くもない、今も昔も変わらない、マーケティング基本パラダイム上の2つの立場・考え方の時代に応じて変奏されるヴァリアントである。 一方で消費や欲求のメカニズムは、近年の研究でどんどん新しいことが解ってきている。昔からなんとなく解っていることにEvidenceをつけただけの研究も多いが、それらでさえも既存マーケティングを再考するには十分有益だ。例えば人は自分が思っているほど主体的に欲望の対象を決めているわけではない。恋愛のつり橋効果は俗論としてよく知られていると思う。恐怖による胸の高鳴りを恋愛感情と勘違いするというわけだが、ことはもっとラジカルなのだ。視聴覚実験だと称して、沢山の女性の写真を被験者の男性に見せる。同時に自分の心音(実は本物ではない)を聞かせる。で、ある写真の時に偽の心音の高鳴りを聞かせる。何の実験だったかもよくわからないまま実験は終わる。そして終了後、謝礼に好きな写真を持って帰ってよいというと、高確率で偽りの心音の高鳴りを聞いた時の女性の写真を持って帰るのだ。1か月後追跡調査をしても印象は殆ど変わっていない。そんなばかなと思うが、人は異性の好みのような殆ど本能と思われることさえ認識によって本当に変わってしまうわけだ。こんなものは序の口、人が何かにハマるメカニズムや習慣化のメカニズムなどが認知科学や心理学によって明かされつつある。この一歩先には従来より遥かに巧妙なマーケティングの可能性が控えている。そして実際先進グローバル企業は人間理解の先端を自らも基礎研究しつつ、先端知見をマーケティングに活かすことに挑戦している。 翻って殆どの日本企業は基礎研究や基礎理論には興味が無い。従来通りを踏襲するか、分かり易く普及版化した10年前の知見を新理論として周回遅れで急にもてはやすか。これではフロンティアは開拓出来ない。欧米はおろか非西欧圏のリーディング企業にも気付けば先を越されているだろう。日本と世界のクリティカルな差は資本力でも資源でも構想力でも創造力でもない。このまま世界との差は広がり続けるのだろうか。 (文責:金光隆志)

2018-10-16

消費の本質?あるいは商品について

私たちは無数のモノ・コトに取り巻かれている。その殆どすべてが商品であることに驚かねばならない。私たちの生は商品漬けであり商品にaddictされている。 では何故商品を次々に買うのか。 例えば。 便利だから?ではなぜ便利を求めるの? 楽をしたいから?ではなぜ楽をしたいの? あるいは。楽をしたいんじゃない、時間を節約したいから? では時間を節約してどうするの?他にもっと有意義なことに時間を回したいから? では具体的にはどんな有意義なことに?・・ つまり。便利とは、どうでもいい・無駄なこと・嫌なこと、なのに精神的・肉体的・物理的に負荷が大きいこと、について、その負荷を軽減して気持ちよくなれること。 例えば。 好き(Love)だから?ではなぜ好きなものを求めるの? 気持ちよくなるから?ではなぜ気持ちよくなりたいの? なぜって、気持ち悪いより気持ちいい方が良くない?・・ つまり。好きとは、どうでもいい・無駄なことだが、気持ちよくなれること。 例えば。 自慢できるから?ではなぜ自慢できるものを求めるの? 人より優位に立ちたいから?ではなぜ優位に立ちたいの? なぜって、劣位より優位の方が気持ちよくない?・・ つまり。自慢とはどうでもいい・無駄なことだが、気持ちよくなれること。 以下、延々続けることも出来るが、無駄なうえに気持ちよくもないのでここらでやめる。 要は。 商品を買う合理的な理由なんて表層で、錯綜していて、矛盾があって、突き詰めるとよくわからないんだけど、とにかく気持ちいいことを求めて商品を買うし、商品を買うこと自体が気持ちいい行為なのだ。 だとすると。 人が気持ちよくなること、それは何かを追及するのが概ね商品開発ってのではなかろうか。気持ちいいって何?どんなこと、どんなとき、どんなものに気持ちいいと感じるの?それは何故? これは実に奥が深い。人は気持ち悪いもの(グロ)をあえて求めることもあるやに見える。でもそれだって、連鎖を辿れば最後は「気持ちいい」に結びついているに違いない。 「気持ちいい」は微細にも、いや微細にこそ宿り得る。どんな商品であっても一つの商品に色々な「気持ちいい」を付加し得る。五感や身体の生理的「気持ちいいい」、意味や認知の精神的「気持ちいい」、関係やコミュニケーションの社会的「気持ちいい」、それぞれに沢山の「気持ちいいい」があり得る。 さて、あなた(の商品)は気持ちいいをどこまで深く探求し、多面的に実現できているだろうか? (文責:金光隆志)