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ビジネスの色々なテーマを徒然なるままに考察し書き下ろしたエッセイです。
ステレオタイプなビジネスの見方を更新するべく、ビジネス論の範疇で能う限りリベラルな視点・切り口を導入しています。
ビジネスの、経営の、パルマコン=毒⇔薬として、思いがけない誤配を夢想した宛先不明の手紙として。
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欲望の探求⑤ -世界観アーキテクチャの中毒消費-
意味のイノベーション、人を動かす体験ストーリー、云々。 産業や生活がテクノロジーによって変革・更新されていき、テクノロジーこそが世界の問題を解決していくという物語・神話が全面化していく中で、大事なのは技術じゃない・問題解決じゃない、意味やストーリーこそ大事なのだという物語が語られる。 これを文系の最後の悪あがきと揶揄する向きもある。が、まあそうでもない。 実際、人が物語によって世界を意味づけし、それによって価値や行動や規範が規定されていることは、有史以来の人間社会成立(ホモ・サピエンスとしての)の条件なのだ。 現在は「テクノロジーが世界を変える・救う」という物語が支配的、というわけで残念ながら文系諸氏の悪あがきは見事に自らの言説に裏切られる、という憂き目を見るわけだが。 個々の商品において新しい意味やストーリーを考える(意味やストーリーから考える、も含む)ことは否定はしないが、それだけでは大して見返りはないだろう。特に、人を動かす「英雄譚」のストーリーモデル云々、とか、イノベーションやマーケティングのハウツー本で書かれているレベルのこと(ドラマティックな物語展開のパターンはこれ!みたいな)を考えても全くの無駄なのでやめておこう。日常・変化・困難・協力者(商品)・克服・成長・・とか、子供でも考えるような物語構造の一番単純な定石ではあるが、自分の消費を思い返せばいい。そんなもので心動かされて何かを買ったこと、あります?? まぁディスるだけじゃなく一応ちゃんと言っておくと、物語について商品やサービスへのマーケティング応用を考えたいのならば、筋の展開の構造のような「形態」「機能」や「シークエンス」よりも、人物や出来事の特性や気分・ある行動への動機・場の雰囲気・状況などを伝える「指標」や語りの「パースペクティブ」のことをしっかり考えてみたほうが示唆深い場合が圧倒的に多いだろう。 商品を使っているシーンやエクスペリエンスをプロット・表現し想起させる、云々というのも殆ど無駄。商品開発においてシーンやエクスペリエンスから発想することを否定しているのではない(大して肯定もしないが)。新規性の高い商品の使用説明としてちゃんと伝達することを否定しているのではない。そうではなく、ストーリーマーケティングやらコンテクストマーケティングやらと称して「エモい」エクスペリエンスストーリーを考えよう云々、がまぁ殆どの場合無駄だということ。マーケティングの段に至ってエモいエクスペリエンスを捻り出さなければいけない商品など、はなからエモい魅力はないと思った方がよい。 さて、アイロニーはこの辺にしておこう。やっぱり人々にとって意味のある生産的なことを言いたいですからね。ということで、意味のイノベーションや体験・ストーリーよりもはるかに強力なビジネスモデル原型を少しご紹介しておこう。 人をときめかせる、ワクワクさせる、これから(未知・未来)を期待させる、あこがれさせる等などの「世界観」をもとに、ビジネスアーキテクチャを形成・生成し、そのアーキテクチャをもとに、世界観のパーツや個々のストーリーとしての各種商品やサービスをマルチプラットフォーム・マルチビークルに次々と展開する。これである。 人々の欲望を駆動するのは、第一義的には、個々のストーリーではなく、「世界観」である。そして、「世界観」がベースにあると物語はいくらでもヴァリアントを生成可能なのだ。そして世界観アーキテクチャがハマれば必ず中毒消費に至る。 エンタテインメントの世界を想像すればわかりやすいだろう。ディズニーワールド、マーベルユニバース、ラノベジャンル、AKBフォーマット、K-POPフォーマット、ポケモン、直美・・。基盤となる世界観のもと様々な商品・ストーリーヴァリアントが展開されると同時に、それぞれのヴァリアントがさらに、派生商品/ヴァリアントを生成している。強引に単純化した例を示そう。「気品、美しさ、優しさ、行動力、勇敢、困難の克服、変身、魔法的力、愛の成就」といった特徴を備えるディズニープリンセス世界観。その世界観のもと、白雪姫、シンデレラ、アリエル、ベル、ジャスミン・・といった様々なストーリー/キャラクターヴァリアントが創られる。そして各ヴァリアントからはアニメ、実写、キャラ商品、テーマソング、テーマパークアトラクション・・といった派生商品/ヴァリアントが生まれる。これらの生成を支えるアーキテクチャは、映像から商品やパークまでの連鎖したコンテンツビークル・プラットフォーム(ディズニーエコシステムと呼ばれる)はもとより、社会が求める女性像のR&D(キャラクターの性質は時代とともに少しづつ変容させている)、世界中の文化や物語IPのリサーチ、ニューロサイエンスに基づくシーンと情動のパターンDB、最先端のCG・VFXテクノロジープラットフォーム、新たな体験を生む五感を中心とした先端テクノロジー・サイエンスのリサーチネットワーク、ハリウッド内はもとよりグローバルに広がる映像制作ネットワーク・・といったSECT(Science Technology Culture Edit/Produce)インフラストラクチャから構成される・・云々。 ところで「世界観」消費のミソは、世界観そのものを直接消費することは出来ない、ということだ。世界観を楽しむ・熱狂する・共感する・同化する・納得する・感受するには、世界観のパーツ・化身・シミュレーションたる個々の商品・キャラクター・物語を消費するしかない。だが、それは決して世界観そのものではない。だから、世界観と同化するには、次々に出てくる商品やストーリーを世界観の一部・影・鏡像・シミュレーションとして次々に消費するしかないのだ。かくして「世界観」に快情動を感じた人は、反復を求めてずっとその世界観の化身・仮身を追い求めることとなる。 そして、世界観に惹きつけられた消費者自らを、個々の商品や物語生成に巻き込む、創作に参加させることで、世界観アーキテクチャのモデルは一つの完成形に至るだろう。世界観に同化したいというナルシスの欲望が擬似的に満たされる状態。完全に同化できてしまってはいけない、ときには「本物」の豪速球で突き放さなければいけない、のだがまぁその話は置いておこう。ともかく。ここまでくれば完全にハマった状態である。実際に創作に参加させるにせよ参加した気にさせるにせよ、そこに莫大なマネタイズの機会が発生するだろう。エンタメで言えば、二次創作の隆盛で一次創作の消費を拡大するのか二次創作自体から収益を得るか、みたいな話ではある。それだけじゃない、それだけだと浅いが、まぁこれも置いておこう。 さて、エンタテインメントの喩えはわかるが、他の実用商品でも同じことが言えるのか? もちろんYes。ジョブズが率いたころのAppleに陶酔しCreativeを信奉した人々、GoogleのMoon shotに憧れ・共感しハッカソンなどに参加する人々、IKEAのLOHAS的・北欧的感性へのDIY的商品体験による同化、昨今の中国D2Cユニコーンにおけるコアファンの熱狂的参加、米国DNVBにおける理念や世界観への共感、等など。すべて「世界観」による欲望の駆動と、欲望を個々の消費やコミュニケーションで解消するための「アーキテクチャ」がある。アーキテクチャの全体が世界観の表現でもあり、個々の商品やコミュニケーションが物語のヴァリアントとして世界観を部分表象し、世界観への憧れ・興奮・共感・同化・・を部分的に昇華・消化させる。 世界観は人々を瞬間的・無意識的・情動的に惹きつける。だが世界観自体「これが世界観です」というふうには目に見えない、言語化しようにもいわく言い難い。だから強力なのだ。では世界観やアーキテクチャはどうやって作ればいいか。簡単に補助線を付しておこう。 欲望の原理的理解、現代のマクロな世相や言説の背後にある集団的欲望や不安及びその源泉の理解、個人や集団の欲望を駆動する世界観の原型となる各種文化の様式・パターンやそこで作用するコードのカタログ・現代の脱聖化した各種消費文化の背後にある歴史的系譜の考察、世界観構築・表現や個別商品・物語生成に援用可能な技術プラットフォーム・サイエンスの考察、コアファン生成のコミュニケーションモデル設計、メディア・ビークルプラットフォームミックス設計、これらを統合するSECT連携/スタジオ型ビジネスモデル、である。世界観を代理表象するための物語素・神話素や指標に相当する要素・パーツをデータベース化しアーキテクチャに仕込んだり、それら要素の最適組み合わせをイメージ生成・テクスト生成するデータサイエンスやニューロサイエンステクノロジーを折り込むことが出来れば更に強力な世界観アーキテクチャ型ビジネスモデルを創ることができるだろう。 世界観アーキテクチャの消費は目新しいものでは無い。にもかかわらず、エンタテインメント業界の先端を除けば殆どの人はそれをビジネスモデルとして了解していない。文系の悪あがきの可能性の中心はここにこそあるのだが、エンタテインメント業界以外のビジネス現場がいかに人間や文化を原理的本質的に理解することを怠っているかの査証、とまで言うと言い過ぎだろうか。ところで実は世界観アーキテクチャの中毒消費はデジタルと相性がよい。デジタル化が全面化し、With/After covid-19の生活様式がいよいよ不可逆となっていく気配の中、世界観アーキテクチャの勝者は世界の勝者となっていくだろう。 (文責:金光 隆志)
利権とメディア
ビジネスは極論すれば、第一に、いかに“利権”を創出するか、である。第二に、“利権”が乗る“メディア“をいかに創出し拡大するか、である。 即ちビジネスとは“利権”דメディア”であり、その相乗効果・自己増殖・領域拡大をどこまで発展させられるか、である。規模化したビジネスは悉く利権が大きい。逆も真だ。 では利権とは何か。排他的・独占的権益である。権益の源泉は様々である。知的財産(IP)、原料、取引関係、顧客名簿や顧客に関する情報、規制、あるいは店頭フェースや広告枠なども権益の源泉である。権益の源泉は複数のレイヤーの関係者に利権をもたらす。多層でかつ構造が複雑化するほど強固な利権となる。多層・複雑な利権生態系は、部外者には参入が難しく、かつ変革に対する抵抗力が強い。 メディアは少々解りにくいだろう。狭義のメディアも含まれるがむしろそのイメージは捨てた方がよい。ビークルと言った方がイメージし易いかもしれない。 例えばキャラクターIPは様々なものに媒介されて収益を生む。マンガ、アニメ、ゲーム、グッズ、音楽、ライブ、ミュージカル、アトラクション・・。これら全てがキャラクターIPにとってのメディアだ。例えば取引関係という利権では、ある商品の独占的排他的販売、抱き合わせ販売、共同企画、協賛、先行予約、情報提供・・などを媒介(メディア)に収益機会が生まれる。云々。 利権とメディアを原理的に考えることで、今までに無かったクリエイティブな収益機会を創造することも可能になるだろう。 さて利権とメディアを変動させる最大のドライバーは広義の技術である。 昨今で言えばデジタルは様々な形で既存の利権・メディアを強化、変容、流動化した。新たな形の利権・メディアも創出された。 デジタルによる利権・メディアへのインパクトは未だ十分に明らかにはなっていない。そこに大きなチャンスも脅威もあるだろう。だが多くの産業が、企業が、利権・メディアを原理的に捉え損ね、無暗にデジタルの波に乗ったり乗り遅れたりしてむしろ利権を喪失し長期的な収益を危うくしているのではないだろうか。 利権はトートロジーである。だから難しい。イノベーションは新たな利権を創出し得るが不用意なイノベーションは思わぬところで既得権益(利権)を脅威に陥れ無言の抵抗に合い失敗に終わることも多い。用心が必要だ。 だがビジネスを利権とメディアの層で視る言わばX線の目を持ち得たなら、ビジネス思考は格段に冴えてくるだろう。 (文責:金光隆志)