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ー コラム

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ビジネスの色々なテーマを徒然なるままに考察し書き下ろしたエッセイです。
ステレオタイプなビジネスの見方を更新するべく、ビジネス論の範疇で能う限りリベラルな視点・切り口を導入しています。
ビジネスの、経営の、パルマコン=毒⇔薬として、思いがけない誤配を夢想した宛先不明の手紙として。

a.戦略
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2024-02-14

戦略とコンテクスト

以前に創造性とコンテクストについて論じました。創造性とはコンテクスト(モノ・コトの関係の網)への眼差しであり、コンテクストの発見・破壊・創造である、と。 そして戦略性と創造性についても論じています。戦略性と創造性は高みであるほどに双子の兄弟である、と。(興味のある方は「発想のアート」タグからコラムを検索ください) そうすると、論理的には以下の言説がある程度成り立つはずだと予想されます。即ち、戦略性とはコンテクストへの眼差しであり、コンテクストの発見・破壊・創造である、と。 はたしてどうでしょうか。 昨今、戦略とコンテクストや創造性を繋げて考えられている人は殆どいないのではないか。 それこそが戦略の貧困を招いており、貧弱な経営を招いているのではないか。 さらに言えば。 大企業による新規事業創出が殆ど上手くいかないのも事業アイデアの貧困(だけ)ではなく戦略の貧困に起因しているのではないか。 ほんとうに、まともな戦略議論というものに滅多にお目にかかれなくなりました。かわりに、○○キャンパスを埋めたりだとか、1時間議論して決める戦略ワークショップ云々だとか、一体何がしたいの?というような戦略もどき、いやもどきにすらなっていない、誠にもって珍妙なるワークを行っている例は枚挙に暇がありません。 戦略とコンテクスト。 そう、まさに戦略とはコンテクストの発見・破壊・創造と言ってもよいでしょう。逆に言えば、コンテクストを無視した戦略には殆ど意味はありません。というよりそれはそもそも戦略ではありません。 いささか戯画化した単純な例を見ておきましょう。 「わが社の優位性はコスト競争力にある。競合に比べて購買や生産システムの工夫・構造的な差異によって20%程度は安い。細やかな差異の集積によるコスト差のため、簡単には模倣もできない。そこで、このコスト競争力をさらに高めるべく生産性向上の各種施策を推し進めることで、競合を突き放し収益倍増を目指す。」 さてこれ、戦略として正しいでしょうか、間違っているでしょうか。考え方の筋はいいでしょうか、悪いでしょうか。 おそらく、このコラムで“コンテクスト”というキーワードをちらつかせていなければ、多くの人は「戦略理論を押さえ、結構良く考えられているのでは?」と思ったのではないか。 実際、この程度の論理さえ事業計画で展開されることは珍しくなってはいます。合格点をあげたい気持ちもあります。ですがコトと次第では、〇〇キャンパスを埋めて戦略と言っているのと結果的に五十歩百歩なのかもしれません。 そう、すべてはコンテクスト次第なのです。 例えばもしもこれがハイエンドのアパレルブランドの話しだったらどう感じますか。 「いやさすがにハイブランドでコスト競争力とかあんまりブランド間の競争に関係なくないか?」と思うのではないでしょうか。そんなのあたりまえ?? では例えばもしこれが大型輸送機器において製造原価に占める比率が1%程度の部材で、現在需要の伸びに供給が追い付いていない状況での話しだったらどう感じますか。 さっきのアパレルの例よりは複雑そうだけど、原価比1%の部材で顧客にとって供給確保が大事な局面で、コスト競争力ってそんなに関係あるの?という気がしませんか。 コストが競争上重要かどうか。それはコンテクスト次第なわけです。 コストを削減し収益を向上する、ということ自体、合っているも間違っているもありません。 もしもコストが競争上重要ではないなら、コストを品質との兼ね合いを見ながら出来るだけ抑えるということは、戦略ではなくオペレーション改善施策案の一つにはなるでしょう。 状況やコンテクストを無視した戦略は戦略たりえない、ということは明らかです。 状況、コンテクストをどのように認識するか。すべてはそこから始まります。 状況認識が雑であればあるほど戦略も雑になるのは必定です。 では緻密に状況やコンテクストを認識すればよい戦略が描けるのか。 緻密な状況認識で戦略は描けると思います。しかしよい戦略が描けるかどうかは多くの場合緻密さとは別の眼差しも要請します。 それが、コンテクストの発見・破壊・創造。 どういうことか。 既存事業で想像してみればよくわかります。長年事業をやっていけば、一定の状況認識はなされていくことでしょう。実際多くの大企業における事業計画では環境認識・競合認識・市場認識などの状況認識が示されています。調査などを実施しかなり詳細かつ体系的組織的に押さえられていることも少なくありません。 ところでこの状況認識、競合はどう見ているでしょうか。実は多くの場合、競合も殆ど同じような状況・コンテクスト認識をしています。同じ事業を長年やっていれば当然と言えば当然。 同じような状況・コンテクスト認識に基づいて戦略を考えるとどうなるでしょう。 そうです。 同じような状況・コンテクスト認識からは同じような戦略示唆が出てくるものです。なまじ戦略論に通じていればいるほどそうなるという皮肉すらあり得ます。 よい戦略を立てるには戦略論に通じている方がよい。それはそう。しかし、戦略論への精通はどちらかというと十分条件なのではないか。ではよい戦略の必要条件とは。それが、コンテクストの発見・破壊・創造、 ポイントは、状況認識・コンテクスト認識においてユニークさを発揮できるか。といってもユニークなら何でもいいのではない。現実を無視したユニークさには殆ど何の価値もありません。現実を前に今までとは違う見方によって認識の更新をできること。競合と同じ現実を目の前にしながら違う景色が見えること。それこそが真に創造的な戦略性発揮への第一歩となります。一見平凡な・定石的な打ち手でも、ユニークな状況認識に基づいて競合の盲点を突く・出し抜く・裏をかくなどにつながる打ち手であるならば、それは非凡な打ち手へと変容します。逆に、凡庸なる状況・コンテクスト認識しかできないと、本当に凡庸な戦略しか出てこない(凡庸な戦略が常に悪いわけではない点にはご留意)か、無理やりこねくり回したようなへんてこりんな戦略を立ててしまうかでしよう。 ではそんな真にユニークなコンテクスト認識を可能とする眼差しはどうすれば獲得・発揮できるのでしょうか。それについては立ち入った考察と論述を要します。機会を改めることとしましょう。今時点でヒントを得たいならコラム「創造的思考態度」やクロスパートの特徴に記載の「多焦点・複眼マルチレンズ」等が補助線にはなると思います。 事業環境が複雑化し変化が加速している時代において戦略など時間をかけて考えても無駄、という風潮もありますが、皮肉にも事業環境が複雑化し変化が加速しているからこそグローバルリーダー企業の優位性基盤はかえってゆるぎないものとなっているように見えます。 他方で、全方位で通用する唯一無二の優位性基盤などはありえません。彼らに挑んだとて、いきなり全面的な勝ちを収めることは無理である反面、全面的に負けるはずもないのが道理です。そこかしこに潜んでいる小さなドクサを執拗についていくこと。戦略論の古典が教える平均政策の罠からアナロジーで推察できるのは、甘い汁を吸っているスポット・局面・セグメントにこそ付け入る隙があるかもしれないということ。戦略的成功への準備を進める価値は大きいと思います。 (文責:金光 隆志)

2024-01-19

戦略的セグメンテーションの再考

突然ですが質問です。市場って何でしょうか。 そんなわかりきったことは考えたことがない?ですよね、普通。 ではもうひとつ。 ディズニーランドは市場でビジネスを行っていますか? それは何の市場ですか?どんな市場ですか?その市場では誰かと競っていますか? これもわかりきったこと? ディズニーランドは普通に言えばテーマパーク市場に属していると思われるでしょう。 ではテーマパーク市場って何でしょうか。テーマパークを集めたらテーマパーク市場? 市場におけるディズニーランドの競合は誰でしょうか?USJ?ハウステンボス? 競合ってどういう意味でしょうか。同じ事業を行っていたら競合でしょうか? おやおや?となってきませんか? ここで私が、テーマパーク市場なんて殆ど存在しない、と言うと、阿呆かと思われるかもしれません。確かに、日常的慣習的語用を鑑みれば、流石に言い過ぎ・誤り感はあります。けれども、市場というからには、ある財・サービスにおいて複数の供給者が需要者の獲得を巡り、価格や取引条件を交渉・競争している場、なのであって、供給者が一人しかいないのであれば、経済学的には独占市場と呼ぶのだろうけど、ビジネスで言う「市場」とはちょっと違いそうではありませんか? ではここで補助線を。 ある人がデートで悩んでいます。今度の休みはどこに行こうかな。日帰り旅行いいな。TDLの方が喜ぶかな。でもあの展示会も早く観に行きたいって言っていたな・・ 皆さん(とくに関東在住なら)も似たような経験はあるかと思います。 TDLは普段誰とどんな顧客獲得競争をしてそうでしょうか。あるいは補助線に沿って需要者側から言えば、普段人は何の目的でTDLと何かを比較・選択する(≒市場)のでしょうか。 どうも多くの場合はテーマパーク同士ではなさそうです。ということは、市場を先ほどの定義に則って考えるなら、強いて言えばディズニーランド市場はあると言えるかもだがテーマパーク市場なるものは、ほぼ幻想というか抽象設定に過ぎないのかもしれません。 更に問題意識を深めていきましょう。 市場セグメントと顧客セグメントは同じことでしょうか?別のことでしょうか? おそらく多くの人は、日ごろ特に意識はせずなんとなく市場セグメントも顧客セグメントも似たような意味で使っているかもしれません。 一方で、ここでハッとした人もいるかもしれません。市場とは何なのだろう、と。 顧客セグメントは人や人の特性によるセグメントであることは明らか、対して市場セグメントにおける「市場」は抽象的にして多義的に使われます。「市場」が指すものは商品の場合もあれば機能の場合もあれば顧客の場合もあれば目的の場合もあれば手段の場合もあれば・・・という具合です。つまり「市場」は定義次第、と言うと節操なく聞こえますが、まさに「定義次第」で「意味のある定義」の場合もあれば「意味のない定義」の場合もあるわけです。では「意味」とは。そう、「意味」には絶対的なものなどなく、目的やコンテクスト次第。ゆえに「テーマパーク市場」なる市場定義が多くの場合意味を持たないわけです。 「顧客」セグメントは主にマーケティングや商品・事業開発において有用な概念です。 対して、「市場」セグメントというのは実はとても戦略的な概念になりえます。 「市場」とはサプライサイドとデマンドサイドが「交差」する場です。 デマンドサイドには行動目的、ニーズや欲望、オケージョン、ベネフィットなどの切り口があり得ます。一方サプライサイドでは、どういうデマンド切り口を設定するかによって、それに対応し得るサプライが変わってきます。 補助線の例では、ある人がこんどのデートはTDLか日帰り旅行か展覧会か・・と悩んでいたのでした。そうすると例えば「一日レジャーデート」というデマンドに対して「TDL・日帰り旅行・展示会・・・」のサプライがある、という市場セグメンテーションの定義があり得るわけです。この「一日レジャーデート」というデマンドに対して「TDL」は他のサプライに対して競争力があるか・経済性が十分よいか、それによってTDLが「一日レジャーデート」をビジネスの場に選択すべきか否かが左右されます。Yesなら「一日レジャーデート」は戦略ターゲットのオプションになり得ます。Noなら他にビジネスの場とすべきデマンドを探さなければなりません。この一連の作業が「戦略的セグメンテーション」と呼ばれるものの核心になります。 戦略的セグメンテーションには論理性と創造性の両方の発揮が求められます。答えは一つではありません。様々なセグメンテーションがあり得ます。そして、既存事業の戦略指針見直しにおいても、新規事業機会検討においても、うまい戦略的セグメンテーションの切り口を見つけることが出来れば、ビジネスの変革・成功にぐっと近づくはずです。 (文責:金光 隆志)

2022-05-31

先発参入か後発参入か!?

新商品や新事業において、先発参入と後発参入のどちらが有利か。古くからある議論で沢山の研究が重ねられてきています。結論はまちまちなので、メタ分析的に言うとどちらとも言えない、ということかと思ったりします笑。とはいえ実例研究なんかは結構読み物としても面白いものが多い。成熟業界とテクノロジー業界の違いを論じるもの、デファクトスタンダード競争との関連で考察するもの、近年ならプラットフォーマー事業モデルを軸に研究しているものなど様々あり、興味や直面している課題に応じて読んでみるのもよいでしょう。 で、今更ここで、それら研究を紹介・総括したところで何も面白くないので、新たな視点、少なくとも既存のちゃんとした学術研究群とは違うパースペクティブで実践的な考察を行っておこうと思います。 パターンを論理的に整理しておきましょう。 先ずニーズについて。イノベーションでは普通のニーズはあまり対象になりません。イノベーションのターゲットになるニーズには2極あります。既に存在している大きなアンメットニーズか、ニーズがあるかどうか不確実か。 次にソリューションについて。ソリューションも2極に大別しましょう。一つは、その業界なりテーマなりで王道・既存の延長にあるソリューション、もう一つは、異質・既存では追求されていないソリューション。 ここで、ニーズとソリューションの掛け算を考えると4つの象限・パターンが出現します。「大アンメットニーズ×王道・延長ソリューション」「大アンメットニーズ×異質ソリューション」「不確実ニーズ×王道・延長ソリューション」「不確実ニーズ×異質ソリューション」 順に見ていきましょう。 先ず、「大アンメットニーズ×王道・延長ソリューション」 この象限では先発が優位か後発が優位か。 という問いには意味はありません。え!? この象限では最終的にリーダー企業が勝てるし勝ちに来ることが多いからです。大アンメットニーズなので解消すれば大きな事業チャンスです。そして他社が先に渾身の技術開発に先行で成功したとしましょう。リーダー企業は大抵すぐにキャッチアップできます。たとえ技術をパテントで押さえていたとしても、それが業界でスタンダードな技術領域や技術の筋だったとすると、いくらでも(は言い過ぎですが)類似ソリューションを開発することは可能だからです。この象限ではリーダー企業なら先発しようが後発に回ろうが勝ててしまう、ということです。 次に、「大アンメットニーズ×異質ソリューション」 この象限では先発が優位か後発が優位か。 ここでは多くの場合先発参入が圧倒的優位です。 大きなアンメットニーズなので大きな事業チャンスです。そこに業界スタンダードとは違う異質ソリューション。異質ソリューションを模倣するのは誰にとっても簡単ではなく時間がかかります。その間に市場を押さえ・ブランドを確立することが可能です。異質ソリューションの場合、市場に認知・受容されるのに時間を要する場合もあります。大きなアンメットが解消されるとはいえ見たことないソリューションだと様子を伺うユーザーも多いからです。ところが、逆説的ですが時間を要した場合のほうがむしろ先行者が勝ち切れる可能性は高まります。浸透が遅れていると既存プレーヤーは「あんなもの普及しない」とたかをくくって追随の手を打つのも遅れます。ところが。良いソリューションならユーザー行動の周囲状況依存とネットワーク効果で、突然一気に普及期を迎えます。そこではじめて後続は慌てて手を打とうとします。でも時すでに遅し。巻き返しには長い時間と大きな投資を要します。 次に、「ニーズ不確実×王道・延長ソリューション」 この象限では先発が優位か後発が優位か。 ここでは、実は「優位」か否かがポイントではない。「賢い」のは後発参入を選ぶことです。 ニーズは不確実なのでうまくいくかどうかはわかりません。ですが王道・延長ソリューションなら、上手くいくことを確かめてから参入準備しても、一定程度は間に合うしある程度は成功出来るのです。仮にリーダー企業が先陣を切って市場開拓に取り組み、需要が喚起され、市場が形成されてきたとしましょう。リーダー企業でなければ後発で逆転は難しいですがリーダーでなくても後発で参入は間に合うし、なんなら差別化できます。逆にリーダーが後発の場合ならもちろん逆転は十分起こしえます。 最後に「ニーズ不確実×異質ソリューション」 この象限では先発が優位か後発が優位か。 ここまでの論でお気づきかもしれません。異質ソリューションは成功するなら先発が優位です。しかしニーズ不確実ならば後発が賢い。ということで不確実なニーズに異質ソリューションを考える、というのは、なかなかやりたくても既存大企業が取り組むにはハードルが高いのです。つまりこここそが大企業にとってはベンチャリング領域、というわけです。ここでは単にソリューションの探査やR&Dを行うだけではダメで事業機会の存在も探査しなければいけない。事業化を試さなければならない。逆に言えば大企業が純粋にベンチャリングアプローチをとるべきなのはこの象限だけ。そのことに無自覚なCVCその他のベンチャリング的取り組みは失敗するか控えめに言って目標を見失い頓挫することが多いでしょう。 先発参入か後発参入か。これは決着のない二項対立の問いです。なので、少し眺める角度を変え、かつ考察を複眼にすることで、立体的に示唆を導出してみました。 イノベーションのジレンマやネットワーク外部性が働く事業や急速に技術進化が進む業界など、各論ベースではもう少し複雑なケース・優位性議論も出てきますが、4象限の原則論の理路を認識しておけば状況をうまくハンドリングできる可能性はぐっと上がることと思います。 (文責:金光 隆志)

2021-06-15

創造的な戦略の恩恵

創造的な戦略は立案も実践もはっきり言って難しい。仮に千社の戦略を並べたとして一つでも創造的な戦略と呼べるものが見つかるかどうか。だがもし成功すれば。そのリターンはとても大きい。 創造的な戦略とはどのようなものか。パラフレーズして考察しておこう。 創造性とは。人のパーセプションを変えること、人にとって想定外なこと。 戦略とは。自社に能う限り有利な状況を生み、出来れば競争優位実現に至る方策のこと。 つまり、創造的な戦略とは、 ① 競争相手にとって想定外、つまり競争相手を出し抜いて、 ② 有利な状況を作り、いつのまにか競争優位・障壁を築くこと だと解しておいて大過ないだろう。 さて、競争相手を出し抜く方向性は3つある。 その①:競争相手が気づいていない戦略ミスを突く その②:競争相手が気づいていない戦略チャンスをモノにする その③:競争相手が気付く前にゲームチェンジを起こす 言うは易しで、出し抜くだけでも簡単ではない、その上で競争優位を築くとなると難度は一気に上がる。ある打ち手がたまたま創造的戦略の条件を満たすことはあるが、意図的に方策を考えるとなると、戦略に関する相応以上の理論的理解と実践的経験が必要にはなるだろう。ここではその方法の概念だけでも供しておきたい。繰り返すが、難しい。 さて、相手が気づいていない戦略ミス・戦略チャンスは、大小問わなければ実は様々に存在している。殆ど全ての企業にあると言っても誇張ではない。典型的には戦略事業単位の無理解・誤解に起因し、その無理解・誤解は競争メカニズム及び経済性メカニズムの無理解・誤解に起因する。戦略事業単位とは、競争メカニズムや経済性メカニズムの異なる事業やセグメントの切り口単位のことであり、上述はトートロジーなのだが、トートロジーを承知で敢えて付言すれば、一つの事業領域において複数の戦略事業単位で事業展開している場合、相当な確率で、どれかの戦略事業単位において戦略ミスを犯している。殆どの企業が戦略事業単位を認識しそこねている(戦略事業単位を商品カテゴリーや事業カテゴリーと同じと見做し勘違いしている企業が大半)からだ。 いずれにせよ、戦略ミス・チャンスを突くためのポイントの一つは競争メカニズムや経済性メカニズムの正しい理解である。精緻さが重要なのではない。正しさが重要なのだ。通常は社内の事業管理単位、情報取得・利用範例、インテリジェンス、事業システム、管理会計システム等が戦略事業単位と整合していることはない(だからこそ敵も我が方も見損なうわけだ)。よって精緻な分析など望むべくもない状況だがその必要も実はない。精度ではなく正しさを検証できるレベルの戦略分析を実施することが重要で、戦略分析のためには戦略ミスや戦略チャンスに関する蓋然性の高い仮説と仮説検証に足りるモデル化が決定的に重要となる。モデルは出来る限り、部分的であっても定量化検証出来ることが基本だが先ずは定性モデル化からでもやらないよりはるかによい。その場合でもファクトに基づくことが大事である。 少し話が逸れた。戻そう。 「戦略事業単位の誤解」は「平均化のワナ」へと繋がる。「平均化のワナ」は気づかないうちに様々な形の歪み・ミスマッチや無視を生み出している。価格設定の歪み、資源配分の歪み、ビジネスモデルの歪みなど各種の歪みや、アンメットニーズの無視、置き去りユーザーの見逃し、市場構造変化の無視などである。これら歪みや無視を突く方策は悉く「競争相手を出し抜く」創造的な打ち手となる。 しかしそれだけでは戦略的な成功を収めるには道半ば(よりも手前)。競合が気づいて手を打ってくるまでに十分な時間を稼げて、かつ手を打とうと思った段階では既にこちらが新たに競争優位の条件を整えている、ということが必要になる。一般論としてはサプライサイドでミスを突く方が競争に気づかれにくい。例えば単純な例、資源配分をこっそり変える等の打ち手は相手からは見えにくい。一方デマンドサイド、特に新商品・新サービスの展開の場合には十分な注意を要する。イノベーションのジレンマのような状況を起こすケースで無い限り、殆どはすぐに模倣される。模倣されないためには同時にサプライサイドでの障壁(例えば開発や適用には時間のかかる独自の技術や異質技術が伴っている、サプライチェーン調整に手間がかかる・ハードルがある等など)があれば、模倣される前にこちらがスケールを獲得し複合的優位性へと発展させられる可能性は高まる。あるいは、デマンドサイドでも顧客ロックインやネットワーク効果のメカニズムが働き、かつ顧客のマルチホーミングに一定の障壁がある場合には先行者がある程度有利である。など。 いずれにせよ、相手のスキを突く創造的な打ち手を打つだけでは全く不十分で、競争優位のロジックと行動シナリオをしっかり詰めることが肝要である。 デジタル化の進展で、かつてに比べると企業が保有する情報は格段に増えている。データサイエンスの実施を含め、社内での分析の量も格段に増えている。それらはもちろん大事かつ収益をもたらしている。だが、それらはオペレーションレベルでの分析の発展であり成果なのだ。戦略検討とは次元が異なる。これほどデータが増えていても戦略分析を実施する際の困難・苦労は今も昔もそう大差がない。だが苦労する価値はある。 進化スピードが早い市場では競争優位の戦略は成立しない云々、全くの観念論・常識的イメージ論であって、見誤りだと断言出来る。実際デジタル事業・環境では逆に恐ろしいほど競争優位のロジック・メカニズムが純化したかたちで働いている。2番手以降には創造的な戦略で立ち向かう以外に残された手は殆ど無いとさえ言える。 デジタル領域では殆ど競争地位の変動が起こらない事実をさきの進化論者や適応論者はどう説明するだろう?事業創造のロジックと競争のロジックは峻別しなければならない。 事業創造にはもちろん価値があるし、どこか神秘的イメージもあって魅惑される。だが企業のボトムラインへの影響は競争、従って戦略が遥かに大きいことに刮目されたい。事業経営に関与する人たちにはこんなご時世・ムードが支配的だからこそ、リアリストの目を備えることを勧めたい。 (文責:金光 隆志)

2021-06-10

戦略的な創造性の発揮

前回、戦略性と創造性は双子の兄弟のようなもの、と論じた。 そこで今回は、実践編として、戦略的に創造性を発揮する方法について話してみよう。 先ずは自分自身が創造的になる方法について。 タネを知らないとまるで手品のように感じるが、タネを知り方法に習熟すればちょっと気の利いたアイデアを出すことぐらいは誰でも出来るようになる。 創造性とは何だろうか。 今までにない新たなものを生み出すこと、とか、何かの真似でない独自性・オリジナリティ、とか、色んな定義があるようだが、あまり生産的・実践的な定義ではない。 今までにあるかないかとか真似でないかどうか、はどうでもいい。創造的なものは悉く、人々の認識を一瞬にして変えるもの、である。もう少し丁寧に言って「〇〇とは☓☓だ」とか「○○ならば△△だ」といった定石・定説・常識・慣習・暗黙の前提を覆すもの、である。 では、定石・定説・常識・慣習・暗黙の前提を覆すにはどうすればいいのか。 言葉で語るのは簡単だ。覆すには、覆す対象、即ち定石・定説・常識・・・を明確にすればいい。それらを明確に出来たなら「それ以外/そうではないもの」を考えれば、定石・常識・・・を覆す考えになる、という算段だ。Out of boxに考えろ、とはよく言われるが、Out of boxに考えるためには今のBox即ち定石・定説・常識・・を知らなければ始まらないし、知ればその外に出ることは容易である。 だが実践上の問題がある。 その1:何が定石・定説・常識・・かを、どうすれば認識できるのか。 その2:覆す案なら何でもよいのか。 定石・定説・常識・・・にはあからさまにそうだと気づく・分かるものと、無意識・暗黙に前提してしまっていて気づかない・解らないものがある。もっと言うと、あからさまに常識だと解っても、暗黙の前提・常識すぎて、それを覆すなんてナンセンスだと思ってしまうものがある。実はそこにこそ覆すに値する大きなチャンスが眠っているのだが、無意識に可能性をはじいてしまうのだから、なかなか普通は覆すターゲットと認識出来ないわけだ。 一例をあげよう。例えばハサミ。ハサミなのだから切れるのは当然だ。ではその常識を外したら?普通に考えればナンセンスだ。切れないハサミなど意味がない。そこで思考は止まる。というよりそもそもそんな可能性を思考しない。だがみんな知っているだろう、幼児の玩具や知育用教材、指が切れないハサミ、これらはまだ切る/切らないの単純な二項対立の範疇だが、医療における手術用の鉗子など機能転換したものまで、切れないハサミは色々ある。 このように「ハサミは切るもの」といった、当たり前過ぎて覆すことなど考えられない状況・事象を「機能性固着(機能的固着)」と言う。そしてこの「機能性固着」を覆すアイデアというのは一般的に言って創造性の高いアイデアになる。柔軟剤から柔軟を取ったらレノアに繋がり、エアコンから熱交換を取ったら空気清浄機に繋がる。鉛筆から芯を分離したらシャーペンになる。ガラケーからボタンを無くしたらスマホ形状になる。などなど。今やそれらが常識・あたりまえだが、出た当初はまぎれもなく「今までにない」だったはず。 さてでは、機能性固着に気づき、それを覆す創造的なアイデアを生み出すにはどうすればよいか。誰でも実践可能な方法論がある。「強制的バイアス破壊」の方法がそれだ(弊社HP「コンセプト」欄ご参照)。簡単に言うと、商品であれサービスであれ事業であれ、機能や機能を構成するパーツ・要素を適当に分解した上で、その中の任意のパーツ・要素を「方法」に従って「強制的」に「変形」する。「変形」した上で、「そうすると誰にどんなベネフィットが生まれ得るか」を「強制的」に考え出す。これだけ。変形の方法や意味を考える方法・手順には少し習熟が必要だが、慣れれば誰でもアイデア出しがかなり上手になるだろう。信じられないだろうが本当だ。 他にも有効な方法がある。これは以前にコラム「創造性と専門性と教養と」でも紹介したが、専門性を習得すること。「専門性はバイアスの源」のようなステレオタイプに安易に都合よく乗っかる愚は是非とも避けたい。バイアスになるほどの専門性なんて殆どの人はもっていない。むしろ専門性が欠けているからこそ世間の常識・平均と変わらないことしか出来ないしちょっとした創造性も発揮出来ないのだ。例えばマーケティング担当だとしよう。つまらないマーケティング案しか思いつかないと悩んでいるなら、安易にOut of box発想などを求める前にしっかりマーケティングの専門性を突き詰めてみよう。少なくとも自分自身が沢山の目からウロコ体験をするだろう。そして、以前の自分よりははるかに色んなもの・ことが見えるようになり、創造的にマーケティングを考えられるようになるだろう。さらに。そうやって専門性を高めた結果、嬉しい副産物も舞い込んでくる。ある分野における専門性の目でもって異分野を見たとき、異分野の常識とは違うものが見えるようになる。創造性の高いアナロジーが駆動される。この副産物効果を視野に入れると、異なる2つの分野で専門性を持てればとても強力だということに気づく。詳しくは以前のコラムを参照されたい。 まだまだあるがとりあえずもう一つ。これも以前にコラム「創造性とコンテクスト」で論じたが、コンテクストを操ること。既存コンテクストとの調和、既存コンテクストを下敷きとした異化、コンテクストの創造、大きくは3つの操作法がある。コンセプト理解の補助線・補助ツールとしては視点のズームイン・ズームアウトの方法がある。こちらも詳しくは以前のコラムを参照されたい。 さて、ここまで、個人としての創造性の発揮の方法について基本的なものを紹介してきた。よってここまでの話での「戦略的」とは「計算できる」という意味合いに近い。 では、組織として「戦略的」に創造性を発揮する方法はあるのか。つまりは「創造性の発揮」を「組織のケイパビリティ(組織ケイパビリティは模倣・獲得に時間がかかるという点において競争優位の源泉になり得ます)」とすることは出来るか。個々人が創造的になれば組織全体としても創造的になるだろうが、それに加えて組織ならではの、3人よれば文殊の知恵、のような創造性発揮のケイパビリティについて考えてみよう。もう答えを半分言ってしまった。「3人よれば文殊の知恵」を実現すること。即ち異質とのオープンコミュニケーションの実現。部門間、世代間、国籍間、男女間、等などで真に対話・相談・意見・傾聴するチームを縦横無尽・柔軟に組織できるとそれだけでもかなり強い。でも決定的に重要なのは社外に開けた組織となれるか否か。事業創造ブームで今や多くの企業がオープンイノベーションを標榜し方法を取り入れている。でもオープンになれている会社はどれくらいあるだろうか。最低限の情報しか開示しない、下請け扱いする、格下に見る、駆け引きする、最悪の場合アイデアを盗もうとする、等など。元々そういう体質が染み込んだ企業が形だけオープンイノベーションを取り入れたところで盗賊的な成功はあり得ても創造的な成功はありえない。実は組織が創造的になるほうが個人が創造的になるよりも遥かに簡単なはずなのだが。現実はそうなっていない。ということは難しいということなのだが、「現実には色々難しい」と考える時点で創造的な組織作りからはかけ離れたところにいると思ったほうがよい。これは社員の、個人の問題ではない。組織の体質転換の問題である。体質転換はトップマネジメントのリーダーシップに始まり全社のビジネスシステムやガバナンス改革にまで及ぶ大きな経営アジェンダとなる。と言ってもガラガラポンは出来ない。既存事業とのバランスやトランジションマネジメントの巧拙が重要となる。さらに先がある。組織の創造性ケイパビリティ構築は、社外を巻き込んだパートナーシップ・エコシステム改革にまで及ぶ。エコシステムのトップに君臨する企業が真にオープンになったとき、パートナーシップの変容・組み換え・再発見・増殖・循環・オープンの連鎖・・が起こる。かくしてエコシステム全体に創造性が波及していく。 グローバルを見たとき、競争の次元が企業間からエコシステム間へ、競争優位の単位がエコシステム競争優位へと転換しつつある。創造性発揮の組織のケイパビリティは現代における強力な競争優位の源泉である。 (文責:金光 隆志)

2021-06-09

戦略性と創造性と

昨今、創造性と戦略性がまるで対極であるかのように語られることも多い。 戦略アプローチはクリエイティビティの敵、みたいな。客観ではなく主観、みたいな。 その実、なぜ・どのように対極なのかを上手く説明している論にお目にかかったことはない。 創造性とは何で、戦略性とは何か、そのエッセンスを掴んでいれば造作もないことなのだが。 言葉遊びであることを了解した上で、対極という主張に与する説明を与えておこう。 戦略とは計算であり、創造性とは計算外である。 自分で言うのもあれだが、これはなかなかイケた定義だろう。戦略はロジックであり創造性は感性だ、とかいう類の説明よりは随分マシだ。 説明のココロを簡潔に述べておこう。戦略とは競争相手に勝つため・戦いを諦めさせるための作戦でありシナリオの組み立てである。これを計算と呼んだ。一方創造性とは人の認識を変えることであり、常識とは違うことである。これを計算外と呼んだ。 しかし、戦略にしろ創造性にしろ、人の裏をかいたときに最も成功するわけである。ならば最も上等な戦略とは創造的な戦略、即ち敵にとっての計算外を計算にいれた戦略なのだし、最も上等な創造性とは戦略的な創造性、即ち偶然などではなく計算して人の計算外(常識と違うこと)を生み出すこと、になる。 というわけで、創造性と戦略性は高みであればあるほど双子の兄弟のようなものなのだ。 最近では殆ど聞かなくなったが、その昔は、戦略はアートだ、とよく言われた。戦略の本質を踏まえて厳密に言うと、弱者にとっての戦略はアートだ、となるだろう。強者にとっては弱者に諦めさせるために分かりやすい戦略(競争優位)つまり計算しやすい戦略を示すことが有効である。強者がわけのわからないことをやると、逆にわけのわからない反撃を受けて自身も痛手を被る等が起こるからだ。逆に、弱者にとっては分かりやすい戦略は殆ど無効である。弱者は強者の裏をかかなければ勝てない。生存できない。つまりは創造性が求められるのだ。 一方で、余談になってしまうが、アートは戦略だ、というと意外に思うだろうか。だが世界的に成功しているアーティストであれば、何を当たり前のことを、と思うのではないか。 実際、近代以降のアートは極めて計算高く、従来のアートの計算外(常識を覆す)をモードとして生み出してきたのだし、モダン以降に至ってはアート業界の文脈を計算しつくした上で「文脈に収まる計算外」を創出することがKSFだといって過言ではない。モダンアートを理解しようと思えば、あるいはアートの世界で成功したければ、ナイーブにアーティストの内なる感性の表出こそがアートの本質、などと思わないほうが賢明だ(いいか悪いかは別にして)。 さてでは創造性と戦略性が対極どころか双子なのだとしたら。戦略的に創造性を発揮する、ということはいかにして可能なのだろうか。あるいはまた、創造的に戦略をたてる、ということはいかにして可能なのだろうか。 (文責:金光 隆志)

2021-02-23

資本効率経営の功罪

資本効率経営が大企業の経営企画部あたりでちょっとしたホットトピックの一つになってきている。いつか来た道、大体10年周期くらいで似たようなブームがくる。新しい財務指標で「あの低迷していた企業○○がXXXを導入して復活した」とか「あの優良企業△△もXXXを活用している」みたいな話題がメディアで取り上げられ、新しい指標のブームが生まれるようだ。で、最近ならROIC経営、である。ちなみに資本効率経営に限らず、新しい経営手法が世界の潮流から3周くらい遅れて日本でブームになる、というのがここ数十年の現実。ちょっと前だとデザイン経営。米では20年くらい前にムーブメントがあって10年ちょっと前にピークがきて、今や米でそんなこと声高に言う人は殆どいない、というのは言い過ぎにせよ、まぁブームでも先端でも何でもない。米で誕生する経営手法は、その時代時代の米国企業や産業界が抱える課題に応えるかたちで台頭している。つまりコンテクストがある。対して日本では少なくともこの30年近く、ずっとちぐはぐなままである。デザイン経営(最近ではアート思考)と資本効率経営のブームがほぼ同時というのは笑えない冗談ではあるが、デフレ基調が変わらないままここまできたのだからインフレの環境で生まれた手法に遅れて乗っかったところでちぐはぐになるのも、さもありなん、である。資本効率を考えて経営するなんて当たり前のことだが、投資が加熱している環境・企業の状況下で、冷却装置として資本効率を厳し目に見る、というのが米やグローバル企業で起こるムーブメントなのであって、今の日本企業で皆が資本効率とか言い出すと、益々実体経済の景気は悪くなるのがオチである。絵に描いたような合成の誤謬が起こりそうだ。どうするんだろう。 さておき、資本効率経営。まぁ今ならROIC。多角化企業が事業を整理する際にはとてもわかり易い便利な指標だが、成長・拡大を目指すとなると途端に足枷となる。既存資産の範囲で事業を行う限りは拡大であってもまずまず機能する。PL上の利益拡大と資本効率の間に齟齬は殆どない。だが投資が絡むと困難が生じる。単純な話、追加設備投資により利益が拡大できるとしても限界資本効率が既存の資本効率を下回る場合、事業の資産運用サイドからみたROICは低下することとなる。だがその投資が例えば会社の現預金範囲で賄えるのなら調達サイドからみた全社ROICは向上する。この投資は是か非か、議論になるならまだしも、多角化企業では投資の検討・起案は先ず事業部が行うのが通常で、ならばそもそも議論祖上にあがらないかもしれない。それでもオーガニックの投資ならまだ単純、M&Aでは益々事態は複雑・困難となる。本来資本にとって、M&Aは自前成長よりも大きく確実な成長機会をもたらすことは多い。会社の既存資産の範囲でM&Aを実行出来る場合、連結で見れば被買収企業の純資産分の資産圧縮効果で全社ROICも向上する傾向にある。だがPBRが高い、したがって一般的に言えば有望な企業が買収対象であればあるほど、のれん代を考慮するとROICは悪くなる可能性がある。被買収企業の規模にもよるが、のれん代の大きい企業を全て現預金等で賄って買収ということは少なく、新規調達して買収することも多い。被買収企業の純資産額以上の資金調達を行って買収するならば、短中期では全社ROICを悪化させる可能性が高い。しかるに本来M&Aは、フェアヴァリューで見た企業価値よりも安く買えるなら、その投資はファイナンス的には是、事業シナジーが見込めるならなおさらであろう。だがROICに拘泥すると大型M&Aは非となりやすい。より先鋭的な言い方をすれば、これから先の企業価値増(≒FCF)最大化と過去の投資の正当化(≒ROIC)のどちらを優先するのかの問題に帰着する。短期の財務パフォーマンスを気にする会社は今の株主の期待値を大事にしていると言えなくもないが、緊縮的な財務戦略を続けていると、いずれ利益総出力に限界が訪れ配当性向は高まるばかり、しかもいずれそれも限界にきてついにはその株主も離れていく。かくして会社は衰退の一途をたどる。上場企業の株主なんてどうせ入れ替わるのだ。にっちもさっちも行かなくなって誰からも振り向かれなくなるくらいなら、今のうちに短期重視の株主から長期重視の株主に変わってもらったほうがいい、という企業が今の日本にはたくさんある。しかし、ブームに乗って資本効率経営と称して無自覚に自ら自分の首を締めようとしている企業を見るにつけ、さながらタナトスの欲望、自殺願望があるのではないかとさえ疑ってしまう。というのは悪い冗談だが。 資本効率経営と事業創造・成長の両立を図りたい企業に処方箋を述べよう。既存事業については、先ずは収益力強化の方策を実施しよう。商品別・顧客別の真の収益を把握出来ている企業は驚くことに未だに極小である。管理会計がずさん・未整備なまま(そもそもこんな状況では事業別ROICもへったくれもないのだが)何十年も放置されているのだが、そこはきっと文字通り金銀財宝・宝の山である。売掛買掛サイトや細かい経費を気にするくらいなら商品・顧客ポートフォリオをしっかりリストラクチャリングしよう。多くの事業ではそれで大幅にROICも向上・改善するはずである。収益力を強化しても業界平均ROICを大きく下回る事業については整理・できればカーブアウトの道を探ると良い。そうして生まれたキャッシュを、今の配当を増やすためではなく将来の配当をふやすため思い切り投資に回していこう。投資したくても魅力的な事業案・候補が無いのだ、という声もあるだろう。そうした企業では不確実性の見方を更新することが処方箋となるだろう。より具体的には新規事業の検討や投資判断にオプションの考え方を導入しよう。オプション価値を考慮すれば投資機会はぐっと増えてくるはずだ(コラム「事業創造とオプション創造」をご参照)。なお、投資はできれば日本優先で考えられたい。大企業が皆日本での投資を活性化すれば、新規事業の成功確率は全体として向上していくはずなのだ。 過激に聞こえたかもしれないが、これが数十年前、長年不況にあえいでいた米国が奇跡とさえ思えるパックスアメリカーナ復活を果たした道標。リストラクチャリング・リエンジニアリング旋風ののち、情報スーパーハイウェイ構想のもと、国内デジタル投資が活性、その際度々参照・立脚されたのがリアルオプション投資、株式市場だけでなく実需景気も徐々に浮上しデジタル以外の分野も活性、結果、各産業の競争力は回復・飛躍的に向上し、再びグローバル競争の雄へ。云々。 だいぶ話が大きく、そして長くなってしまった。今回はこの辺で。 (文責:金光 隆志)

2021-02-18

事業創造とオプション創造

事業創造とは何か。 当たり前すぎて考える気にもならない?確かに。事業創造とは事業を創ること。では同義反復であって何ら新しい発見はない。しかし、この問いへの切り込み方・回答次第で事業創造の巧拙が決まるのだとしたら?ということで今回は事業創造とは何かの見立てを更新してみよう。 事業創造とはオプションの創造であり権利の創造である。 どういうことか。 一般的に、事業創造には不確実性が伴う。不確実性には2種類ある。何が起こるか想像もつかない・思いも寄らないことがあり得る、という意味の不確実性。そしてもう一つ、色んなことが派生的・連鎖的に起こり得るのだが、そのどれがどこまで起こるのかわからない、という意味の不確実性。事業創造においてこの2つの不確実性の意味は深く考える価値がある。なお本稿では詳述しないが、前者は弊社が提唱する適応変異(アダプション)の創造手法に、後者は生態系多様性の創造手法に関係するだろう。 さて、パラフレーズを続けよう。この不確実性の創造こそが事業創造なのだ、というと驚くだろうか驚かないだろうか。事業創造の常識的なイメージでは、ある狙った事業構想があり、そのリターンを想定し、それを実現していくことが事業創造であろう。日本の大企業の事業創造は殆どここで躓く。リターンを定量的に想定出来なかったり、想定してもそれこそ不確実であったりするわけで、ここで色んな対処のバリエーションが現れる。大別すると3つだろう。①不確実だからリーンに小さくスタートして検証しながら進めよう②革新的なアイデアを定量評価しようとすること自体間違っているし革新的であるかどうかが大事③わからないから様子を見よう。①②③のどれも、それ自体が間違っているわけではないが前提が間違っているとそのあとの論理も全部間違いとなる。前提とは繰り返すが、事業創造とは不確実性の創造であり、不確実性には2種類ある、ということ。 まだ何が言いたいかピンとこないだろう。ここで、不確実性を可能性と読み替えてみるとどうか。「可能性の創造こそが事業創造であり、可能性には2種類即ち想定外と想定連鎖の枝分かれの2種類がある。」どうだろう。ちょっと見え方が変わってきただろうか。ところでまたしても殆どの大企業の事業創造の取組みにおいて、可能性の連鎖の想定は全くといっていいほど行っていない。「こういう風になるだろう、でも不確実で、アップサイドこれくらい・ダウンサイドこれくらいの振れ幅」みたいなことをやっているケースはある。やらないより遥かによいが、ここで言っているのはそういうことではない。想定の実現可能性のことではない。所謂サイドエフェクトや、風が吹けば桶屋的な関係性の連鎖がもたらす可能性のユニバース(と宇宙の果て的な想定外の発見・出来事)のことだ。やってみればわかるが、サイドエフェクトは具体的なアクションやイベントを考えれば考えるほどどんどん広がり、それこそ想定外だった可能性に気づいていくことだろう。そして、事業創造とはこれら可能性のオプションの創造、起こし得る権利の創造、と考えるべき行為なのだ。 事業創造において常識的考え方で「これをやればこれくらいのリターンが期待できる」と算段しそれが十分魅力的なとき、十中八九はその見通しは誤っている。だから、さっき①②③どれも間違いと言ったが、こういう起案がされたとき、③の「よくわからないから様子見」という態度は皮肉にも実は合理的だとも言えるわけだ。念の為捕捉しておくと、スモールビジネスを立ち上げるのであれば、この限りではない。スモールで十分なら色々やりようはある。例えば特定のユーザーを想定し、そのユーザーを徹底的に満足させる商品やサービスを作れば、似たようなユーザー層には確実に波及し受容されていく。だがまぁそれ以上でもそれ以下でもない。 可能性の連鎖は今起こるわけではないし今の投資だけで起こせるものでもない。どこかで大きな分岐がある。だが可能性が低くても起こり得る・起こし得る未来。それがオプションである。そして事業創造の価値は殆どこのオプションの価値に依存する。オプション価値の小さい事業は控えめに言って魅力は高くない。また、ほぼ同義なのだが、事業創造において確度の高い未来の価値は小さい。さっきの繰り返しになるが、逆に言えばこれを大きいと見積もっているならその見立ては殆ど誤りだろうということだ。直感的に了解するなら本当に確度が高いのなら皆が同じところを狙うから価値は毀損される、と考えてみればよいだろう。 可能性連鎖のオプションをどう考案しどう評価するかとなると少々テクニカルな習熟を要する。評価についてはまだ限界もある。また、もう一つの可能性である想定外をどう「想定」するかも、可能性連鎖の想定を前提とするのでここでの説明には収まらない。だが、これだけは押さえておくと良い。オプション=権利を買う・押さえるという考えがないと、ロクな新規事業投資は行えない。オプションを買う気がないならはじめから新規事業など考えないほうがよいとさえ言える。思うに日米のここ20年の決定的な差はここにあるんじゃなかろうか。先ずは定性でも良いから可能性の連鎖を描ききってみるとよい。事業構想が当初想定とまるで違うものへと変貌することだろう。変貌しない事業案はボツにするのが懸命だ。とまで言うと言い過ぎか。でもそれくらいでないと大企業なんて変わらないですからね。 (文責:金光 隆志)

2020-03-13

生態系の戦略

イノベーションの大きな、そして見落としがちな落とし穴として、既存エコシステムとの思いがけないミスマッチ、というのがある。 ロン・アドナーの「ワイドレンズ」で見事に実証的に論じられている。10年近く前の名著で、今更そこに付け加える論もないが、概略はこうだ。技術的にも顧客への提供価値においても画期的な新ソリューションが出来たとする。画期的な新ソリューションは通常1社では実現できず、共同開発はじめ様々なパートナーとの協力関係が必要となる。その複雑さや困難さは、模倣障壁ともなるだろう。一見いいこと尽くめだ。だがまさに、この複雑な協力関係の必要性こそに、往々にして見えない落とし穴が潜んでいる。どういうことか。画期的な新ソリューションにおける協力関係の必要性は、産業システム全体に及ぶ。作る人、はもとより、部材を供給する人、流通する人、販売する人、使う人、修理する人・・・。ちょっとした適応の必要性まで含めれば、最上流から最下流(顧客)まで全てに何某かの適応を求める。ところが。新ソリューションの開発者は、その実現に向けては最大限の注意と粘りと集中力でもって、様々な人と協力する。昨今で言えばオープンイノベーションのような動きだ。そして、首尾よく開発できて、顧客の難題を解決できるのではれば、他の多少の適応など大きな問題ではない、と考えてしまう。ここに想像力の限界がある。想像力の限界は2つだ。第一に、サプライチェーン上離れたところの、中でも現場サイドでの適応の難度や抵抗にまで、想像が及ばないケースが一つ。第二にもっとやっかいなのは、サプライチェーン各段階に少しずつ適応調整の負荷がかかると、それは掛け算となって、顧客に届くまでにはかなり大きなハードルになる、ということ。真に画期的なソリューションであっても全く普及が進まないということが起こり得る。ミシュランのPAXシステム、ファイザーはじめ大手製薬会社がこぞって開発した吸入インスリン、デジタル映画の導入初期など、「ワイドレンズ」では目をみはる例が様々挙げられている。 逆も真である。遠く離れたところを含め、サプライチェーンで直接・間接に関与する各プレーヤーが少しずつでも協力し応援してくれたとき、顧客に届くまでに大きな推進パワーとなっていく。スマートフォンがなぜかくも早く世界に普及したのか、今となっては当たり前に思えるだろうが、ノキアのつまずきを振り返れば、それが紙一重であったことがわかる。 ここに、提供価値設計における視点の革新ポイントがある。 顧客の定義を変えてみよう。サプライチェーンに関わる全ての人達が顧客である。全ての人達それぞれに少しずつでも協力を引き出すベネフィットを考案出来れば、顧客に届くまでに大きな力となる。 ビジネスの始点終点の定義を変えてみよう。よもや売っておしまい、とは思っていないだろうが、アップサイクルまで視野に入れて考えたことのある人はほぼ皆無だろう。周辺の商品やサービス、メディア等まで含めて終点のないビジネスサイクルを構想できれば、生態系の繁栄ポテンシャルがぐっと上がる。 ワイドレンズのコンセプトをささやかながらでも発展させ得る点がるとすればここだろう。 (文責:金光隆志)

2018-10-15

ヒットのメカニズムと指数関数的成長

現象レベルではヒットのメカニズムは2つのパターンに集約される。個々人の独立的・主体的選択において、多くの人を誘惑誘引するパターンが一つ。もう一つは相関的・社会的選択によって模倣が模倣を呼ぶネットワーク効果である。厳密にはもう一つ、ネットワーク外部性の論理があるのだが、話が紛らわしくなるので、でここでは割愛する。 さて、指数関数的成長であるが。これは独立的・主体的選択パターンから生まれることはあり得ないことに刮目すべきである。見かけ上指数関数的になることは多い。だが、本質的に需要が指数関数的に爆発しているのではないのだ。簡単なこと。もし独立的・主体的選択ならば、その商品を選好する人の上限はハナからほぼ決まっているからである。その浸透上限に向かって浸透していくのだ。ロジスティック曲線等指数関数で表現できる。だが、指数的需要成長ではない。単に浸透が指数関数的なだけである。 相関的・社会的選択のネットワーク効果はまるで違うメカニズムだ。独立的・主体的選択では選ばなかったであろう人が次々に需要者になっていく。もちろん無限の成長などありえないわけで、人口的上限はある。だが浸透上限は事前に決まっているわけではない。浸透上限を探ろうとする人が見ればそれがどんどん時間と共に更新されていくイメージだ。厳密にはランダム型とスケールフリー型で効果は異なるが、いずれにしても間接コミュニケーション(簡単に言えば噂の類)の効果が指数的需要成長の程度を大きく左右する。そして現代では間接コミュニケーションが加速している。このメカニズムが駆動を始めると瞬く間に需要が拡大する。 大ヒットにはほぼ例外なくこのネットワークメカニズムが駆動しているだろう。大ヒットを狙うマーケティングの核は明らかである。模倣、そして模倣が模倣を生む、心理的・社会的メカニズムを創出すること。初期フェーズのユーザーがどう動いてくれるかが第一のカギであり、次に局所的で直接的な周囲集積状況が生まれることが第二のカギであり、そこから大域的で重層的な周囲状況へと発展することが第三のカギである。狙ったマーケティングを行っても常に上手くいくとは限らない。結果は多分に偶然・状況に左右される。だが模倣が模倣を生むメカニズムが駆動しているか否かは、現代においては慎重な定量・定性検証で、かなり早期の段階から検証・追跡可能だ。つまり、後戻り、軌道修正、諦めて次にいく、等の判断を早期に行うことが出来る。シナリオプランニングや長期戦略とも接続可能になる。 新時代のマーケティングのカギがここにある。 (文責:金光隆志)

2018-10-14

フルクサスの戦略

ワンピース、自分が何かくわえることで、少しでも世界を変えることが出来たら。 まかり間違って、自分が商品を生み出すことが出来たら。 消費者を巻き込んだモノづくりは一つの潮流といってよい。自分でデザインできる服、といったパターンはプリミティブだがその典型である。あるいは消費者に商品アイデア等を議論してもらう共創プラットフォームの取り組みも2010年代から徐々に広がってきた。 だが消費者が「消費者」という相でモノづくりに参加するのは今に始まったことではない。 今注目すべきは「生活者」の相で、大げさに言えば「市民」の相で、人々がモノやサービスサプライにアクティブに参加し始めたことだろう。コミケ、デザフェス、フリマ、といったP2P市場、ハッカソン、クラウドファンディング、あるいは生活者が参加して初めてサービスが完結・実現するという意味ではSNSもその範例と言えるかもしれない。そしてこの潮流の目下のフロントラインと言えば政府が関与しない仮想通貨/独自通貨を市民が創出し流通させる動きであろう。 消費を最終目的としない、といってもよい。かといって生産者でもない。言わば社会とのコミュニケーション。大仰に構えた社会貢献ではない。かといって利己目的だけでもない。言わば承認欲求とも結びついたお裾分け、ギフト、共有。 これをフルクサスと結びつけるのは曲解が過ぎるだろう。しかし、Authorized Contentsを鑑賞・消費するのではなく、それらにあからさまにNonを突き付けるのでもなく、フラットに、自然に、しなやかに、ゆるやかに、ごく身近な人から地球の裏側の見知らぬ人まで、小さな連帯と離散を繰り返し、財、サービス、文化、アイデアをやり取りして世界に変曲をもたらす。矛盾だらけで問題だらけで穴だらけで不細工だけど広がることを止めない運動体。 企業にとってこれはチャンスか脅威か、といったエレメントで、この状況を見るのは恐らく誤りだろう。少なくとも大きな違和感を覚える。 一つ空想をしてみよう。この運動に本気でコミットする企業。さりとて従来の事業の生産様式をやめるわけではない。両方にコミットする。矛盾は利益率の低下となって現れるかもしれない。その時、資本は集まらなくなるのだろうか。資本の性質は変容しないだろうか。資本は一様か。端的に言って生活者はこの企業にどんな形で参加していくのだろうか。その行きつく先。バッドエンドもハッピーエンドも両方空想できるだろう。だが、例え似非だと罵られようが、ハッピーエンドを空想する程度にはポジティブでありたい。

2018-10-12

組織の未来

事業や環境が複雑になるにつれて組織も複雑になる。これはよく言われるし実際にそうだろう。一般論として複雑な組織は効率が悪くマネージメントし難い。そこから、肥大化・複雑化した組織を再びシンプルにしよう・すべきだといった主張に繋がっていく。 だが、逆の論理にも刮目すべきである。組織が複雑になれば事業も複雑化する。「組織」をネットワークに、「複雑」を多様・発達に読み替えて見ればわかる。組織のネットワークが多様化・発達すると事業も多様化・発達していく。ここに組織の未来・可能性がある。 組織の境界や指揮系統をリジッドにすれば効率は上がる。拡大再生産に向いた組織構造だ。だが新しいものは生まれない。一方でネットワーク型組織については、組織の形としては「未来予想」的に語られはするが、そのインプリケーションや実際の可能性は突き詰められていない。発展途上だ。 例えばデジタル技術を駆使して「アイデアの流れ」による「知恵の創造」とネットワークの関係が実証的に研究されている。非常に乱暴に纏めると、適度な複雑さ(ネットワーク)を持った集団の方が知恵が発展する・良い知恵が広がる確率が高い。より細かくは、スケールフリー型ネットワークの方がランダム型より繋がりが多様になり、全体パフォーマンスが上がり易い。だが繋がり過ぎるとエコーチェンバー効果が大きくなって、孤立よりはマシとは言え、良いアイデアが広がる前に普通以下のアイデアがブーム的に広がってしまう可能性が高まる。 アイデアの流れは人の模倣行動特性によってちょっとした接触からでも生まれる。私たちは自分が思っている以上に全然理性的ではないようだ。だが理性的ではない行動によって孤立した個人よりかしこい集団になり得るというのは皮肉ではあるが面白い。 ネットワーク組織の研究では、アイデアの流れに加えて、社会圧力を上手く駆動させるソーシャルインセンティブによって個人の行動変化が劇的に促進される、という研究も示唆深い。個人への報酬よりも、その個人に働きかけるよう集団にインセンテイブを与えた方が個人の行動変化に2~8倍の効果が認められている。企業のインセンティブ設計にも大きな一石を投じる研究結果である。 社会心理学や社会物理学が明らかにしつつある、情報や行動に対する集団の影響やそのメカニズムに関する新たな知見は、組織のハード・ソフト設計に根本的な変革を迫る。根本的すぎて、変革に歩を進められない企業が大半だろう。だが例えば、Googleの組織や人事設計にはこれらの知見や考え方が反映されており、日々組織パフォーマンス向上に関する独自の研究も続けている、としたら?実際に彼らは「良いアイデアの流れ」も「ソーシャルインセンティブ」も組織にビルトインされている。 ここのところ日本企業は優秀な人財を採ることには重点を置いて躍起になっているが組織設計・運営についてはかなり無頓着になってきている印象だ。世界ではデジタルの進化とともに組織・組織論も進化していることを忘れてはいけない。デジタル進化が飛躍的なら組織進化も飛躍的だと心得よう。組織にもイノベーションが起こっている。 (文責:金光隆志)

2018-10-10

競争の論理⇔価値の論理

小さくてもいいから競合の誰もいないオンリーワン市場を創れ・狙え。 否定するつもりはないけれど、人を惑わす随分と無責任な言い方だ。 これを真に受けて、市場性が殆ど無いモノを出してしまったり、愚にもつかないオンリーワンなものをだしてしまったり。あるいはオンリーワンが思いつかず身動きとれなくなってしまったり。 基本的な論理を押さえておこう。商品とは相対的価値体系である。価値体系に組み込まれない商品など存在しない。そして価値体系とは競合関係である。つまり商品として市場に投入された時点で競合関係に組み込まれるのだ。 価値とは差異である。即ち競合とは差異である。量的差異(価格、性能)質的差異(デザイン、材質等)、色々な差異のベクトルがあるが、差異のポテンシャルが大きいほど個性が際立つ。競合があっての個性であることを忘れてはならない。商品経済の基本中の基本だ。 商品なりサービスなりを出す際には必ず競合を想定しなければならない。例え発想の段階で競合を想定しなかったとしてもだ。その想定は、潜在的であってもユーザーにとっての実際的競合=価値体系でなければならない。あなたが勝手に価値体系を作ってそれを認知させる、という高等テクニックもあり得るが、先ずはユーザーに沿って想像すべきだ。言うまでもなく競合は同種商品や同一カテゴリーとは限らない。 そして問う。十分な差異ポテンシャルがあるか。その差異ポテンシャルはダイナミックに持続可能か。どのようにして持続出来るか。 ダイナミックな持続可能性とは進化を織り込むこと。競合は進化する。自分も進化する。価値体系全体も進化する。持続可能性とはそのゲームの論理の詰将棋である。 ナイーブに巷の事業創造論だのデザイン思考だのに飛びついて見失ってはいけない。 商品経済は徹底してマテリアルな価値体系であり競争関係である。 (文責:金光隆志)

2018-10-10

価格とコストと創造性と

コストと値付けに関する深い議論をトンと聞かなくなった。特に新事業や新サービスでは殆ど聞かないのだ。 基本的にはマークアップ方式で、作るのにだいたいいくらかかるからこれだけマージン乗せて、というような感じであろうか。 ターゲット価格を定めて、それを満たすべく仕様・デザイン・部品・工程などをギリギリと詰めて考えるというのはどうやら時代遅れか的外れになったかの様相だ。 売れるかどうかも解らない段階でスペックをいじっても仕方ない、先ずは市場にβ版を投入して反応を見ながらリーンに改良を加えていくべきだ、云々。正論である。 イノベーションの段階ではそんなことは考えない、いや考えるべきではない、それは事業が大きくなってきてマスユーザーを対象にする段で改めてしっかり考えるべきことだ。云々。これも正論である。 イノベーションやスタートアップの教科書には大概その手のことが書いてあるだろう。 でもそのことでかえってクリエイティビティが下がっているかもしれないとしたら? 実際創造性の教科書には逆のことが書いてある。 制約を加えた方がかえって創造性は高まるのだと。 市場の商品価値体系を元にシビアに要求価格を設定してみよう。直接競合がいなくても、いやいない時こそ。するとたちどころにトレードオフが発生するはずだ。この機能を入れたい・でも入れると他を削らなければいけない、とか、デザインはこうしたいけどそうすると生産効率が大幅に落ちる、とか。 このAかBかの選択をシビアに詰めるだけでも随分と商品やサービスが洗練されるだろう。そして最も創造性が発揮されるのが、AもBも両方外せないときに浮かび上がる第三の道Cが考案されるときだ。AもBも満たされる場合もあればAもBも棄却する場合もあるがいずれにせよ第三の道である。 かつて、売上急落に直面したアパレル企業で、毎週このAかBか、いやCだ、の議論をして52週MDプロセスを刷新し、売り上げを急回復させた企業にお目にかかったことがある。 市場の要求価格水準に絶対に妥協しないことで、売れる確率が上がっただけでなく、思いがけないクリエイティブな解決策でむしろデザイン性もよくなってヒットする商品も誕生していた。 既存事業と新事業ではワケが違う、と考える向きもあろう。実際全てが同じではない。しかし、ビジネスである以上価格とコストが最終審級の双璧であり、価格とコストに向き合うことで創造思考も戦略思考も一段と覚醒するこは覚えておいてよいだろう。 (文責:金光隆志)